新家(3)
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概要
関連文献
姓氏家系大辞典
3新家連物部氏の族にして、第一項所載新家屯倉の首にて、新家首の宗家なるvisそは宣化紀元年條に「物部大連施鹿火をして、宜しく新家連を遣はして、新家屯倉の穀を運ばしむべし」とあるによりて知るべき也。而して此の氏の出自は、天孫本紀に「物部竺志連公は、新屋連等の祖」と載せたり4伊勢の新家連前項新家連は、姓氏錄·河内に見えずして、一族の伊勢に榮えし事實より推せば、前項に引用せし宣化紀に所謂る新家电倉も、壹志郡新家村に求むべきか。而して姓氏錄、河内に新家首を載せたれば、河内新家电倉は新家首·之を掌り、伊勢新家屯倉は新家連·之を管理せしにか。壹志郡には新家村あるのみならず、神名式に物部神社を載せたれは、此の氏も物部氏の族にして、前項氏と同流なるや著し。この氏は度會郡大領として、中古大に榮えたり。卽ち皇太神宮儀式帳に「神郡·度會、多氣、飯野三箇郡を初むる本記行事。右は纒向珠城(垂仁)朝庭より以來、難波長柄豐前宮御字、天萬豐日(孝德)天皇の御世に至るまで、有爾島墓村に神序を造りて、雜の神政を行ひ爲し、仕へ奉リき0而して難波朝廷天下、評を立て給ふ時に十〓を以つて分ちて度會山田原に屯倉を立てゝ新家連阿久多を督領(大領)とし、礒連牟良を助督(少領)として、仕、奉りき」と載せ、また太神宮諸雜事記に「天平三年云々。度會郡大領神主乙丸、少領新家連人丸」、また「長和二年云々。度會郡大領新家望尋」等見ゆ。猶ほ第七項、及び第八項を見よ。
(太田亮『姓氏家系大辞典 第4巻』磯部甲陽堂(1944年)387頁)