文室(1)
概要
関連文献
姓氏家系大辞典
1文室眞人天武天皇皇子長王の後也。長王は天武紀に「次妃大江皇女、長皇子と弓削皇子とを生み給ふ」と載せ、また靈亀元年紀に「一品長親王薨す。天武天皇第四の皇子也」に「天武天皇-長親王と見ゆ。(一品、而して紹運錄母天智女從二、大江皇女)-文屋眞人淨三(元は智奴王、大納言)-大原王(從四上、動一等) -綿麻呂(中納言、從三、右大將。延曆十四·二·三〓朝臣を賜ひ、大同四正·三〓督と爲る。朝臣を改めて、同六月、三山朝臣を賜ひ、三山姓を改めて、左兵衞文多木、後守、室眞人を賜ふ。云々)」と左中將、左大辨、兵部卿)、其の弟秋津右衞門督、別當、また淨丹その他はトヨ三の第一大由(中務編、大納言、正二、長親王七男云々)」と見ゆ。また高階氏系圖に「天武帝-長親王-知努王(大納言、淨川と改む。天平勝賣四八廿三、文室眞人の姓を賜ふ)-大原(或は〓門、一に廣川王子、延雁十、三〓朝臣姓) -綿麻呂(大膳大夫、從三、中納曹、大同四、改三緒、同年改三山姓、選文室眞人。弘仁十四四廿四薨)、第秋津(左中將、正四下、三六、左大韓、承和九七配流、同十三十七卒)-卷雄(左少將、伊與介)、じく、又知努王の第「大市(外衞大將、大第能雄」とあり。分脈これに同納言、治部卿、彈正尹、賜文室眞人姓、寶亀八十一廿八薨、七十七、贈右大臣)」呂の男なりと。と載せ、一に邑珍に作る。又卷雄は綿麻内·知努王は天平勝寶四年八月紀に從三位智努王等、文室眞人の姓を賜ふ」と載せ、次に大原は、公卿補任頭書引用の日本後紀に「大同元年十一月戊戌、散位從四位下三〓刺臣大原率す。二品長親王の孫、從三位智努王が第九子也。智努王、天平勝實四年に姓を文室眞人と賜ひ、大原は延曆十一年に三〓朝臣と改む」とあ正二、三山、三はは其のを見よ。又大市は、賣龜十一年十一月紀に「前大納百正二位文室眞人邑珍薨ず。邑珍は二品長親王の第七子也。勝寶四歲に姓を文室眞人と賜ふ」とあり。以上の外、諸王の文室眞人姓を賜へる者には天安元年六月紀に「從五位下粟田王に文室眞人の姓を賜ふ」と云ひ、また貞觀十五年九月紀に「右京人正六位上藤山王、三原王、長栖王、長峯王、長良王、忠峯王、正峯王、豐峯王の男女十九人に姓を文室眞人と賜ふ。(天武)天皇第二皇子より出づる也」其の先は、淨御原など見えたり。又他の氏より此の姓を賜へる者には、三三正正月紀に室眞人と賜ふ」と云ひ、「長谷眞人於保に姓を文また承知七年六月紀に「右京人正六位上磯原朝臣諸宗等廿八人に、姓を文室眞人を賜ふ」と載せ、また貞觀十四年八月紀に「右京人有澤眞人春則等の男女九人に姓を文室眞人と賜ふ」と見え、また齊衡三年十一月紀に「攝津守從五位上〓原眞人益吉、散位從五位下仲井王等に姓を文室眞人と賜ふ」など多し。姓氏録には右京皇別に一文室眞人·天武天皇皇子二品長王の後也續日本紀に合さと載せたり。此の氏の系は第五項を見よ。
(太田亮『姓氏家系大辞典 第5巻』磯部甲陽堂(1944年)4553頁)