支倉
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概要
関連文献
姓氏家系大辞典
陸前國業田郡支倉邑より起る。相武平氏高望七代孫最常が曾係常隆次男常久の子久成の後也と云ふ。同邑に其の居城址あり。大槻氏云「支倉氏に古文書類ありて、古くは長谷倉とも記せり。支と書きて、はせと讀むこと詳ならず。丈部の丈の字の訛などにやあらむとの說もあり。又走の字の訛かなど思へど、何れも據りどころあるにあらず。仙臺城下に、今も支倉通といふ巷街あり、支倉氏の邸ありしより呼べるなり」と。氏人は伊達世次考に「天文十一年九月、稙宗公·書を長谷倉新右兵衞忠常に致す。同十二年、判書を支倉郷中に賜ひ、支倉〓棟役の事、云々と。又天文十三年、種宗公·判書を支倉新右兵衛に賜ひ、苅田莊小業郷内、光明寺分在家二軒、云々」など見え、又政宗家臣に支倉六右衞門常長(奥市)あリ、羅馬に使するを以つて名あり。慶長十八年九月十五日、月の浦を發し、隨行六十八人と共に、十九年十一月四班牙マドリツドに着し、翌年九月三十日ローマに入り、
(太田亮『姓氏家系大辞典 第5巻』磯部甲陽堂(1944年)4553頁)