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撃古戰(佐伯姓)

提供: 氏族家系データベース

概要

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姓氏家系大辞典

5佐伯姓安藝國安藝郡府中の田所氏に는.當地方屈指の名族也。サヘギ條を見よ。また書紀通證に「大呑神主は田所職を帶び、其の證千古の後まで歷々たり。彼れその昔、過戶の屯倉の田司なれば、神事を兼ねつゝ、三宅氏、又田所氏と云ひ、かくは永くも其の職掌をうけつぎたるなれ」と0又藝藩通志、安藝郡府中村田所氏條に、「府中は卽ち故國府なる故に、朝廷より田所職を置かれ、世々其の職に任じ、遂に家號とす。本姓は佐伯なり、或は藤原、源を稱する時もありし。中世、三七七保井田、石井など稱せるは、其の所領の地名を以つて氏とせるなり。昔嚴島社大祭にち、必ず奉幣使、京より下りしが、後田所をして行はしめ、遂に世々其の職を務む。其の元祖、延喜年中に始めて、此の土に來るといひ傳ふれども、詳ならず。寬治中に兼信といふあり。祖父信職を繼い。大帳所、總大判官に補せらる。信職より今の伊織元俊まで三十餘世なり」と見ゆ。田所氏の祖佐伯信兼の弟石井源七郞末忠は、元弘の亂に官軍に屬し、湊川に戰死す、其の古證文存すと。而して此の氏は寬治五年、田所執事讓狀、及び同年の廳宣には「田所惣大判官代三善兼信、同祖父信職」と載せ、保安三年、田所職讓奥の解文には「田所惣大判官代藤原朝臣兼信、同男經兼」と云ひ、建久九年開發田解文には「田所大判官代散位平兼資」とあり。かく三善姓、藤姓、平姓など稱して、其の眞相を詳にし難しと雖も、正しくは佐伯姓にて、當郡大領の後かと云ふ。佐伯條を見よ。また通志に「平家城、別所城、同村にあリ。田所氏云ふ、昔平家敗走して、田所氏に托して、暫く此の地に居けるが、後赤間關に送りける、故に平家城といふ。里人は誤りて、へつが城と稱す。別所城は詳ならず」と。

(太田亮『姓氏家系大辞典 第4巻』磯部甲陽堂(1944年)387頁)

系図・系譜

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