保元物語に爲朝配下の勇士手取の與次、同與三郞あり。豐後遺事に「此の兄弟は、日田郡大肥庄鶴川内鬼田の人にて、鬼田の奥三も討たれにけりとも見ゆ」とa
(太田亮『姓氏家系大辞典 第4巻』磯部甲陽堂(1944年)387頁)