戶春
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概要
関連文献
姓氏家系大辞典
邊春ハ·ル1調姓黑木氏族筑後國上妻郡邊春邑より起る。領主附に「黑木末、邊春勘ヶ由·立花城に居り、十一町三反半を領す」と裁せ、明覽に「天正初め邊香村高桑谷一城に居る、云々」とあり。而して肥後新撰事蹟通考に「親貞·邊春加賀守、玉名郡十町村、板楠村藤田村、前原村の内、山鹿郡茂賀浦、筑後國邊春村等百二十町を領して、十町坂本城に居る。南關紀聞、大友義統の書簡に『親貞事、當方に對し連々別なき覺悟の由、承知せしめ候。偏に其の方才覺故に候、感じ入り候。仍りて其の國五十町分(坪付在別紙)の事〓預け置き候。知行あるべく候、恐々謹言、二月九日、義統判、邊春常陸入道殿』と。按ずるに常陸入道喜連は親貞が一族也。山鹿郡芋生村を領す。其の子芋生攝津守親延は芋生城に居る、因りて家號を芋生と改む。又小代文書、大友宗麟の書中に天文の頃、邊春薩摩守あり。その男親行·能登守、天正十五年冬、佐々木成政に叛して、和仁親買と田中城に據る。成政·密かに圓つて親行に通ず。親行·其の詐謀に陷リ、親實の侍臣豊藏人と議して、遂に親實を殺して、火を城屋に放ち、成政に降る。然れど成政·其の不義を惡み、却つて之を賞せず。親行·流浪して終に吉地村に於いて病死す。その男次郞は一に熊市に作り、又次左衛門「百二石又泉州日向記に見ゆ、一
(太田亮『姓氏家系大辞典 第5巻』磯部甲陽堂(1944年)4553頁)