後長繼(8)
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概要
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姓氏家系大辞典
8甲斐の飯酒氏巨摩郡の名旅なり、信濃飯沼氏と同族なるべし。飯沼半大夫家重、巨摩郡中島郷を賜ふとぞ。イヒヌマ叛て。膳·長權を大垣に招き生害せしむ。前田利家に屬し、の子勘平長實、後十左衞門、法號は源正·信孝主へ内通せしにより、のち織田秀信に仕へ、氏家内長權討死す。數度戰功ありて慶長五年八月岐阜に於て仕へ、其弟勘平長重は始め福島正則に從ひ、父と同時に新加納に於て戰死す。長實の長男小勘平長資は秀信に後尾張の源敬公に奉仕し、名古屋の世臣となる」とa 3沼、又飯沼木工之助と云ふ人あり。に代、崎平左衞門賴綱、二男飯沼安房判官爲綱桓武平氏重盛流「重盛-資盛-盛國-實忠-盛綱-長平姓、安房守賴盛稱之」本國安房、中興武家系圖に小松内大臣重盛九と見ゆ。關家系譜飯4に衞門忠範、ふあるに據りしにや。常陸の飯沼氏「城戶氏の祖を飯沼平十郞範遠と云この人始めて下妻に住す。其の子範光、新編常陸國志城戶氏條始めて城戶庄司其の子左と稱す」と見ゆ。5〓和源氏依田氏流信濃國伊那郡飯沼邑より起る。尊卑分脈に「源滿快五世孫依田六郞爲實-二郞太夫實信-飯沼二郞飯野八幡宮の神主となる。飯野八幡宮は當地方の大社にして德川時代朱印領四百石。供儈十二坊(後十六坊)、社家三十二、(神主飯野氏)、神子八人、其の外流鏑馬役者一人、宮番二人、宮匠一人、柿工一人、掃除一人:庵室一人、善心善滿二人ありたりと。