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後藤(8)

提供: 氏族家系データベース

概要

関連文献

姓氏家系大辞典

8藤原藤勝。按ずるに、天文十三年甲辰生。己上は釆女郷火宮の梁棟を以つて記す。9.後藤强正。名闘く。參考太平記に曰ふ、『宇野部(金勝院本には部字なし。天正本に宇都宮に作る、恐らく非也)後藤彈正云々(北條家、金勝院、南部本不出)』と。按ずるに、此に所謂宇野部は釆女のことにして、後藤氏數代釆女〓羽木に居住して、七郷を領す。大系圖に、山田〓地頭とあるものは、羽木の隣里山田のことゝみゑたり。或說に右馬允(又民部)實重は、後藤兵密尉實基が嫡子、右馬尤實貞が末葉也と云ふ。世系詳ならず、記して後の考を俟つ、」とあり。此の釆女城は釆女村字北山に在り、樹木繁茂す。古井墳墓の址同ほ存す。後藤實基·元久の亂後本郡を管す。男基〓·承久の亂、京師に屬して誅せられしが、男基綱は関東に從ひ、評定衆となる。其の後を基隆、基秀、基秋と稱す(加富田神社棟札に「藤原方綱、同藤勝」の目あり、未だ詳ならず)。釆女正某に至り、永祿十一年、織田信長に亡ぼされ、城遂に廢す(大系圖、諸家系圖纂、古屋草紙、名勝志)と云ふ。右·火宮、加富田神社と云ふは、羽木村にありて、采女七〓の惣社なり。その棟札に「修造し奉る、三重郡采女〓大宮大明神御社頭、御遷宮天文五年丙申八月十一日、亥尅、願主神原朝臣後藤方網、神主秦五位綱安」と。また「御遷宮を成し奉る、永祿十三度午年服月二十四日午尅願主藤原朝臣後藤藤勝、」と見ゆ。

(太田亮『姓氏家系大辞典 第3巻』磯部甲陽堂(1943年)2279頁)

系図・系譜

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