役(平姓伊作氏流)
概要
関連文献
姓氏家系大辞典
2平姓伊作氏流後世頴娃の郡村頴娃城に據る。郡邑は顎娃郡家の所在地にして、衣評督衣君の據りし地なり。よりて此の氏は古代衣君の裔·後世平姓を冒せしものか、或は平姓の人·衣君の家督を襲ぎ鎌倉の初め、しものなるを知るべし。川邊平次郞常房の次子三郞傳說に據れば、忠長穎娃を領し、て男子なし、益山太郎兼純の子忠純を養氏とす。其子一女ありひ、女を妻す。其の後次郞左衞門尉久純、島津氏に反し敗る。移り、島津貞久に仕ふ。應永十年頴娃氏の族小牧氏に賜一時島津久豐此城に太郞憲純に至り、ふ。又顯娃氏と云ふ。地理纂考頴娃〓·久の時に、郡村頴娃城條に川邊平次郞常房が次子、「島津家の始祖豊後守忠三郞忠長·顎娃を領す、固て氏とす。忠長一是を討て陸奥守久豊を領主とす。陸奥守元久の時、純を養ひ、後次郞左衞門久純、女ありて男子なし。女を娶せて當邑を讓る。太郞憲純坂す。上總介貞久に仕へ、益山太郞兼純が子忠久豐是元久·其の國穆佐に移る。に移りて國人南殿と云。此時顎娃氏の族小牧氏に應永十年又日向此地を與へ、頴娃を以て氏とす。同廿七年庚子、頴娃某當城に據て又叛す。久豊是を討つ、顎娃氏戰ひ破れ逃亡す」と載せたり。此の氏の居城は頴姓城の外、山川村土矢「土矢倉城、往古山川の領主題娃氏居城な倉城と鳴川村白ヶ城とあり。地理纂考にり、」と。又白ヶ城、「往古顎娃氏·福占氏と戰爭の時、頴娃氏の營所なりし」と見3伴姓肝屬氏流後肝屬河内守伴兼元のを氏とす。二男次郞三郞兼政當地を領し、地理纂考顯娃城條、前引の續又顎娃氏きに「是に因つて、肝屬河內守兼元が二男·次郞三郞〓政(後に美濃と云ふ)に額獅子城に在り、娃を與ふ。因て又頴娃を以て氏とし、代々彌三郞久音が時、天正十六年故ありて當邑を沒收し、島津家の直上の一樓は、馬久虎當城を築く云々とあり。〓政以來世々居城なり。隷となる、」と載せ、ふ。頴娃氏家乘に曰く、工師田中土佐純員名匠を集又獅子城條に天正十五年·左一名野首城と云又城門の一肝付誤つて落馬し死せり」めて造ると云ふ。久虎は久音が父なり、と見ゆ。此の氏は建久八年の圖田帳に「頴姓郡五十七町內(島津同御庄寄郡)、府領社二十三町(正八幡宮論)、下司頴娃次郞忠康、公領三十四町内七段(本郡司在廳種明、武家系圖に藤原氏とす、
(太田亮『姓氏家系大辞典 第1巻』磯部甲陽堂(1942年)2頁)