康(1)
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概要
関連文献
姓氏家系大辞典
二八五二政(右馬助、大膳大夫、號世安)、弟滿貞(號島田伊奥守、一本に伊豆守。高祖父同名、尤も沙汰の外也實父賴康苐賴難)」と載せ、又土岐系圖に「頼〓-賴康、弟賴雄(揖斐出羽守)-滿貞(島田伊豫守と號す。惣領康行と不和の後、今川了俊に附いて駿州に下向し、島田に居住す) -滿名(島田五郞、遠州に居住し、後勢州に住す)-滿〓(小五郞、勢州に於て持賴に屬す。永享年中、持賴と同時に自害す)」など見ゆ。猶ほ第七項、第八項參照。南方記傳に「南朝元中五年八月、島田伊豫守滿貞、兄土岐の康行が代官として都にありて、兄康行をほろぼし、みづから惣領にたゝむ事をのぞむにより、謀をめぐらし、從第の宮内少輔詮直は、康行が聟たるにより、先づ詮直·逆意あるむねを將軍よしみつに訴ふ。事延引せば、康行詮直一味し、滿貞と必ず合戰有るべし。しからば滿貞をなじ罪たらむ事をうれへ肉·ナ其の故に、詮直勘氣せられ、滿貞に尾張の守護を給ふ。是により、滿貞·尾張におもむく。然る間、詮直·黑田口にて滿貞と合戰に及ぶ。康行も人をつかはして滿貞をうたんとす。將軍このよし二八五二及び朝臣の後を聞きたまひて、土岐左京大夫賴益に命じて、康行を征す。元中六年二月、美濃國土岐の康行退治として、軍勢あまたさしつかはすにより、康行おちゆく。すなはち土岐頼益にみのゝ國守護職を給ふ」と。
(太田亮『姓氏家系大辞典 第3巻』磯部甲陽堂(1943年)2279頁)