康廣忠和
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概要
関連文献
姓氏家系大辞典
-クスレクスワウ- クセクセクセ-クセヘ三六六二君の世に事へて戰功あり。其子長宣は平四郞と稱す、永祿一向の亂に寺方にて討死す。これ廣宣が父なり。廣宣此の時三歳なりしを、大久保忠吉取りて養ひ置く德川殿も罪を免されて一向宗を改めたり』と。初め三四郞と申せし時、生年十六歲、坂部三十郞廣勝は十五歲、二人共に打連れて軍し、能き敵討ちて、共に高名せしよりこのかた、武名の譽れ、當世に顯はれ、三四三十と呼ばれしは、彼等二人が事なり。關東に移らせ玉ひし時、二人一所に上總の國橫田の地を給ふ。大須賀が男出羽守忠政、違江國橫須賀の城に移りし時、久世坂部同じく忠政に從ひて移らず、二人終に御不審を蒙りて、武藏國片山といふ所に引籠りて居たり(横田を領する事は元の如し)。大坂の軍起りし時、二人同じく將軍家の御陣頭に馳せ來る。彼等はさる古兵なれば、兩御所の仰を掌りて、諸手の人々の陣々に御使して、
(太田亮『姓氏家系大辞典 第2巻』磯部甲陽堂(1943年)1151頁)