平賀
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概要
関連文献
姓氏家系大辞典
羽後に平賀郡、陸奥津輕地方にも平賀郡の私稱あり。その他、下總、美濃、信濃等に此の地名存す。1〓和源氏信濃國佐久郡平賀邑より起30尊卑分脈に「義光-盛義(刑部四郞、左兵衞、號平賀冠者)有義有資-資直木希車方四二左修門駅小二郎佐々毛安義有資三一信實新作國方x平吉祥有延七尾宗等見ゆ。東鑑には卷九、十五に平賀三郞朝信、三十一、三十二に平賀三郞兵衛尉、四十に平賀兵衞尉、四十二、四十四、四十六、四十七、五十一に平賀新三郞惟時、四十八に平賀彌四耶、四十九に平賀四郞左衞門尉、四十九、平、五十一に平賀三郞左衞門尉維時等を擧げたり。大内四郞義信は平治亂、義朝に從ひ、待質門に戰ふ。その男左衞門尉朝政は又武藏守朝猫とあり、京都守護となり、又北條時政の女(牧方生む所)を娶り、實朝を害して將軍とならんとせしが竟に誅に伏す。分脈に「朝政·後島羽院御笠懸土(一本等)師公家近習、一天無雙権勢順、公家武家天下政務·掌あり云々。京都守護、武蔵守、左衞門尉、從五下、元久二圓七廿五誅せられ了る。北條四郞時政·聟と爲す。時政の妾眞木女房·重貴、寵賞·比類なし。畠山六郞·度々嘲弄す云々。此の如き遺恨に依り、彼の女房の讒倭に就いて、遂に畠山黨類を追討し了リ、結句、武將實朝を討じ、朝政を以つて關東の主と仰ぐ由、彼の女性支度の同、天下の傾能に及ぶべきの由、義時測惟大吉四.義廣新田駅養胃和
(太田亮『姓氏家系大辞典 第5巻』磯部甲陽堂(1944年)4553頁)