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平丈

提供: 氏族家系データベース

概要

関連文献

姓氏家系大辞典

伊豫國を賜はり、宇和部の城主たり。橘朝臣公光代には、人王七十四代鳥羽院御字、保安三年動功を以つて公の一字を賜はり、是よりして代々實名に公字を用ゐ來るなり。其の後、鎌倉頼朝公の代、出羽國秋田郡の內、所々を添へたまはる。橘朝臣公業代に、賴經將軍より替地として、肥前杵島郡、長島庄、大隅國種が島、豐前國副田庄、肥後國球摩郡、久米〓を賜はり、此の時より九州に來り、肥前國長島に居城す。公業·鎌倉に仕へて軍功有り。橋朝臣公治代には、室町家につかへて軍功を勵し、度々感狀を賜はり、橋朝臣公村·初めて氏を澁江と改む。其の弟三人別れて牛島、中村、中橋を名乗る勅許行事は澁江家斗りに傳へて、末家には附屬せず。此の行事傳來相承をひて、橘姓嫡流の證據とする所なり。杵島郡三法方堀潮見山大明神、上宮は正一位橘朝臣諸兄〓なり。中宮は泉大明神、島田丸也。下宮は澁江、牛島、中村の三武昌是れ余が先祖也。神靈にして社司社僧·これを守る。今以つて退轉なく、九月二十九日には祭禮百味を備へ、流鏑馬有り。昔領知にて有し時のごとく、民今祭りて祭禮の供物、今以つて感應院より贈り來る。上宮は感應院·これを守り(當時院主を亮海法印と云ふ)。中宮、下宮は、社司·之れを守る(當時社司參河と云ふ)。社地潮見は佐嘉御領分也。麓の村を溝の上と云ふ。蓮の池御領分也。橘朝臣公重代に御當國に來る。當時肥前の同姓は、大村侯御家中大村右膳(君の御名字拜領、當時大目附役)、澁江惠門、同橋右衞門、澁江善助、同主水、同國佐嘉領水神社司澁江隼人、長崎水神社司澁江能登、今に親施のしたしみをうしなはず。古紅毛人·長崎同姓方の御守原を受けて、船中不思議の離をまぬかれしより、今に年々紅毛人渡海安全の御重を、能登方より頂戴して、歸國する事也。公重の子澁江九兵衞、子澁江與治右衞門、與治右衞門の子澁江藤右衞門、藤右衞門の子澁江壽右衞門、壽右衞門の子澁江平之九、平之允の子澁江貞之尤、貞之尤の子澁江字內、澁江壽左衞門の弟澁江儀平治、別宅仕り、儀平次の子澁江儀三右衞門、其の子澁江時之允」と見ゆ。又細川藩の儒者に澁江公正(松石)あり、此の流の人也。11桓武平氏これも肥後國の澁江氏なれど、牛鳥系圖に「平公尙·澁江五郞、代々紀伊國中山に住む。壽永二年四月、肥前國長島莊牛島に來り、澁江を改め、牛島と稱す。建久九年飽田郡活亀荘河内村に移る」とあり。前三項と同族なるに、平姓と云ひ、本國紀伊と云ふ。甚だ疑しむいるなほウシジマ條を見よ。12下野橋姓大村藩に在り。13雜載大隅の澁江氏略系圖に、此の「澁江氏は橘氏、家譲りの名は公、初代仲兵衞云々」と。又幕府の醫師に澁江長伯あり。博物學者也。

(太田亮『姓氏家系大辞典 第3巻』磯部甲陽堂(1943年)2279頁)

系図・系譜

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