常陸(4)
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概要
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姓氏家系大辞典
4常陸大掾平國香の後、その男大換貞盛·水平に大功ありしより、其の職を子孫に傳へ、且つ其の頃より國司の在任なければ、權柄·大掾氏にうつれり。治承以後、支族馬場氏·其の職を屬ぎたるも、猶ほ勞感あり。されど總社元應元年文書に「掾官八人、中座五人、書生十人、分五人、御子八人、國掌仕、國雜色二人、國舍人四人、廳供僧五人、總社供當勝經衆、宜勝講衆等十一人」、合せて五十餘人が連署あり。此の頃の大掾は時幹にて、卽ち掾官の內に署名せり。盛時と比して、其の樣のかはりたるを見るべし。是等は當時の在廳人にして、弘安勸文に「在廳名田百五十四町四反三百歩」と錄するは、卽ち其の給田なるべし(郡〓考)。安貞元年の幕府執達狀に「常陸大掾朝聘の申狀、折紙之を遺す。件の大掾職は、始祖相承の上、父資幹·故大將殿の御下文を帶び、朝韓に相傳せしむる歟。而るに知重·國司に屬して、競望せしむるの條、事·若し實ならば、新儀の企·頗る謂れなし。且は非分の望を停止し、且は子細を申さしめ給ふべきの狀、鎌倉殿の仰により執達·件の如し。安貞元年十二月二十六日、武藏守(御判)、相摸守(御判)、常陸前司殿」と資幹は卽ち馬場大據氏にして、知重は守護職八田氏なり。又東鑑卷四十に常陸大掾、太平記卷三十一に常陸大丞、小金本土寺過去帳に常陸大九など見ゆ。その他、大掾、馬場、平等の條に詳か也。
(太田亮『姓氏家系大辞典 第5巻』磯部甲陽堂(1944年)4553頁)