少貳(7)
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概要
関連文献
姓氏家系大辞典
7居館小貳氏の居館は、太宰府の內山に在=、續風土記に「建武三年の春、曹池掃部助武俊は、下座郡三城の渡にて、少貳太郞賴尙に打勝ち、賴尙が父貞経入道妙惠が籠りし有智山の館に押し寄せけ30妙惠を始めとして、宝徒の兵百餘人、腹かききつて失せにけり。妙惠が末子宗應藏主·薪を集め、死骸を火葬にして、其の烟の中へ飛入つて、そ死にける。今九重原と呼び、堀二重、土手二重あり。是れ少貳氏代々の館跡也。今も里人は、御館といふ。いにしへは少貳の官に其の人を掴み、交代有りけるに、賴朝陶奥州を征伐し玉ふ時、武藏國の住人武藤大藏亞法名覺知が子、武藤小次郞を太宰少貳に任ぜられ、九州の事を司らしむ。其の子孫相續ぎて太宰少貳たり。故に少貳を以つて稱號とす。少貳政資、永正中に筑前水城に於いて討死し、此の時、小貳家斷絕す。小貳の先祖資賴·初めて太宰少貳と成りて此の國に下りしより、政資に至りて十一代、凡そ二百二十餘年にして家亡びぬ、」と見ゆ。
(太田亮『姓氏家系大辞典 第3巻』磯部甲陽堂(1943年)2279頁)