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富士名

提供: 氏族家系データベース

概要

関連文献

姓氏家系大辞典

出雲國意字郡布自奈希志名)邑より起る。佐々木氏の一族にして、元弘の忠臣に富士名刺官義綱等あり。太平記卷七に佐々木富士名判官(義綱)、また富士名判官、梅松論に「佐々木富士名三郞左衞門尉、佐々木孫四郞左衞門高久」等と見ゆ。南山巡狩記、大日本定等に據るに、「隠岐國の皇居に於いて、佐々木富士名判官義綱·中門を警固しけるが、ひそかに天下の亂·未だ止まざる樣を君に知らせ奉らばやとおもひければ、御前より官女をもて御盃を下されけるにつきて、しか〓〓のよし申上げければ、君も彼が志を御覽せむ爲に、その官女を義綱にぞ下されける。(この女房は後に鹽谷判官高貞の妻となり、延元四年三月、高師直が爲に自害す)。其の後、義綱は出雲國にうち越え、同志の者をかたらひ、御迎にまゐらんとせし所に、一族鹽谷判官高貞·いかゞ思ひけん、義綱をとりこめて、隱岐國へかへさず。主上は義綱を御待ありしかども、あまりに滯りければ、元弘三三年閏二月廿四日(案ずるに二月に関なし、十二月閏月あれば、もし十の字を脫せしか。或は閏の字は桁文にや。聞十二月とすれば、諸史とあはず)、皇居を忍び出でさせ給ふ」(太平記)と。去る程に「主上は船上山に御座有りと、聞えしかば、國々の兵共の馳せ集る事、引きも切らず、先づ一番に、出雲の守護鹽谷判官高貞、富士名判官(義綱)と打連れ、千餘騎にて馳參る」증

(太田亮『姓氏家系大辞典 第5巻』磯部甲陽堂(1944年)4553頁)

系図・系譜

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