家實
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概要
関連文献
姓氏家系大辞典
120 14若狭の荒木氏本〓扶泰の家臣なり。後世荒木某若狹権を發明す。正保中の事なり。15藤原南家相良流遠江城飼郡の荒木〓より起りしなるべし。相良周頼の後裔なりと云ふ。16越中の荒木氏三州志礪波郡城端條に「荒木善太夫(或作大膳、又作六兵衞、今從家譜)據れり、年曆事蹟並に傳はらず。一書に、善太夫は荒木孫津守村重子也と。天正五年九月國祖に仕へ、千石を賜ふ、十八年八王子役に戰死とあり云々。」一說六兵衞は加賀田井城主松田次郞左奮門の子也と云ふ。加賀藩給帳に八百石、丸内抱杏葉、荒木津太夫、二百五十石、丸内八重桔梗、荒木九八郞と見ゆ。17越後の荒木氏蒲原郡荒木より起る、荒木城主なりき。又古志郡玄蕃村今井城は北面の士荒木玄蕃此地に來りて領主となると云ひ、又一說後醍醐皇子二ロ如法院親王の從臣玄蓄の居城と云ふ。18伯耆の荒木氏當國荒木〓より起る、名和氏記事に荒木氏あり、懷良親王に屬して九州に下る。19安舊の荒木氏沼田郡阿戶村八極掛財又將士軍談、荒木文書によりて作る系圖には、大江一宗ツク彌天郎〓家スミ或宗宗幸」