宗元(6)
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概要
関連文献
姓氏家系大辞典
6大山織田家岩倉織田の支流也。○廣近〓廣男、〓廣弟也。與十郞、遠江守、(文正記、應仁別記)に見ゆ。法名珍嶽、常實。△(敏定) (〓信) (信安)△信定(數定二男と云ふ。)彈正忠、法名月嚴。木ノ下村城在住。○信康信定男、與二郞、木ノ下城より後三私地山に移す。天文十六年九月稻葉山合戰に死す。法名白巖。○信〓信康二男、津田下野守、十五尺衞門、信長の姉聲なれど仲惡しく、信長に攻められ、敗北、甲州に逃る。犬山哲齋と云ふ。犬山城(乾峯城)は犬山町にあり、中世以來、妙法院門主の領なりしが、永享の初め、當國の守護武衞左兵衞義寛の門葉斯波式部少輔滿桓(法名元動)當城を築き、當郡小口の城主織田與十郞廣近をして守らしむ。其後文明中、大和守敏定より左馬助敏信、伊勢守信安まで、代々當城主たりと云へど、此等は岩倉城主なれば、當城をも兼領せしか。後木ノ下城主織田彈正忠信定の二男與二郞信康、木ノ下城より當城に移りしものの如し。此の人天文十六年九月、稻葉山の合戰に死し、その二男津田下野守信〓これを守る、信〓は信長の妹聟なれど中あしく、信長に討れて甲州に逃る。次いで柘植與一(大炊助)城代たり。元亀の初め池田勝三郞信輝、信長より當城を賜ひしが、天正九年信輝、信長の末子御坊(元服して源三郎勝長)を解となして城を讓る。勝長翌十年六月一日、二條城に於て兄信忠と共に戰死す。
(太田亮『姓氏家系大辞典 第1巻』磯部甲陽堂(1942年)2頁)