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安田(7)

提供: 氏族家系データベース

概要

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姓氏家系大辞典

7桓武平氏越後國沼垂郡(北蒲原郡)安田邑より起る。城氏の裔にして、其〇祖城助職(資職、資持)は、玉海、治水五年七日一日條に白川御館と見ゆ。白川庄司たりし人にて、此の地に據りし也。その兄城太郞資永より八代城加賀前司入道師顯、其の子越前守有時の父子、共に新田義貞に従ふ。義貞討死の後、有時の子有信·越後に來り、名字を改めて安田加賀守と號し、上杉氏に仕ふ。有信六代有〓は上杉定實に仕へ、其の子安田治部少輔長秀は伯耆守と稱し、謙信に仕へて、動功多し。男子なく河田豐前長親の子を以つて遺跡を續がしむ。安田筑前これなリ。一改、安田周防守は長尾爲景の妹聟にて、先祖源頼義の旗下加地源太秦基が後裔にて、文明の頃安田城主となると云定.座につ是れ昨日、加堂供養の間、義資觀書を女房訖つて後害を顧みて、敢て披露なきの處、梶原源太左衞門尉景季の妾、夫景季に語る:又父景時に通ず。景時·將軍家に言上す、仍つて明爲を糺さるの時、女房等申す詞、符合の間此の如し。三年東家の輝髪を窺はざる者、一日にして豈に白刄の梟首に遭ふかな」と。又「五年八月十九日丁未、安田遠州·梟首され擧る。子息義資誅せられ、所領を收公せられし後、頼りに五噫を歌ふ。又日來好ある輩に相談し、反逆を企てんと欲す。緯巳に發覺す。遠江守従五位上源朝臣義定(年六十一)·安田冠者義〓四男、壽永二年八月十日、遠江守に任ず、從五位下、文治六年正月二十六日、下總守に任ず。建久二年三月六日遠江守に還任、同日從五位上」と又二十日條に「遠江守伴類五人·名越邊にて首を刎ねらる。所謂る前瀧口榎下重尊、前右馬允宮道遠(達)式、麻生平太胤國、紫藤三郞、武藤五郞等也」증

(太田亮『姓氏家系大辞典 第6巻』磯部甲陽堂(1944年)5678頁)

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