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安房(1)

提供: 氏族家系データベース

概要

関連文献

姓氏家系大辞典

條を見よ。ヤスフク-ヤスフサヤスマル-ヤスミ$004 ヤスミにありて畠山高政に屬す。永祿九年十一月二十三日、三好笑岩·小山城を襲ふ、友重及び第北田彈正左衞門と共に支ふる能はず、交野城に入る。十九代主膳助友長に至り、天正六年十一月、荒木村重に奥し、信長に破却せらる」と云ふ。拙著河內に、丹比郡「小山城は藤井寺村津堂に在り、三好氏の屬城也。これより前、安見備中守〓時·畠山義就に屬し當城に在り、其の子兵部助〓重、孫掃部助清範を經て、太郞左衞門尉友重に至り、永祿九年十一月二十三日、三好笑岩に陷られ、交野城に移りしと云ふ。後織田氏に攻められて陷る」름又「交野城は一に私部城と云ふ、交野村私部に在り。畠山氏の重臣安見氏の捜城なり。安見美作守は畠山高政の時、守護代となりて勢力あり、高政を紀伊に逐ひ、一時自ら守護と稱す。農程もなく三好長慶に攻められて敗北せしも、後又高政に用ひられて守護代となる。永藤二年八月十四日飯盛城を出でゝ、三好方なる池田兵庫頭と戰ひて敗れ、堺に走る。其の後安見左近、新七郎など富城主たリ」と又「安見美作守に三好長に攻められてヤスミヤスミ-ヤスミネAce飯盛城に據りしが、永祿三年八月、當城を出で、三好方池田兵庫頭と戰ひて敗北す」と。又細川國家記に「根來寺業安見美作守」見ゆ。その他、畠山、細川、三好等の條參照。

(太田亮『姓氏家系大辞典 第6巻』磯部甲陽堂(1944年)5678頁)

系図・系譜

関連論文

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