宇留野
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概要
関連文献
姓氏家系大辞典
常陸國那珂郡(久慈郡)宇留野邑より起る。佐竹系圖に「義胤-義宣-義盛(應永十四卒)-義仁(實上杉右京大夫男也、寛正六卒)-義俊(五郞、伊豫守、文明九卒)-宇留野掃部頭(諱義長)-四郞(法名賀峰慶公)-義元(四郞、實義舜男、賀峰討死に依り彼の家を繼ぐ) -竹壽丸(父子共、天文九、三月十四生害)」と。又「義仁-義俊-義治-義舜-武者義元(四郞、宇留野家を繼ぐ)」と載せ、又佐竹支族系圖に「義俊-酒掃-四郞(法名賀〓慶公、依上の妻倉にて打死)-義元(四郞、義舜男、爲猶子)-竹壽丸(父子天文九年三月十四日生害)、」又「義俊-大鳳存虎(酒掃、庶兄也)-義長(源兵衞尉)-源五郞(嫡子家督)、二男右馬助、三男右近(家督、小田にて討死)、四男大山田大學、五男源十郞(家督)-源太郞「源十郞息)と見ゆ。加志村元亨三年文書に「宇留野大輔僧都安瑜、伊賀義員後家尼覺法、同子息行元と久慈東郡加志村を相論す」と關係あるか。宇留野源兵衞義長(掃部介)、宇留野城に居城す、大學介に至り大山田に移る、又部垂城あり、佐竹義舜の三子義元(部垂四郞)字留野掃部介義長の遺跡を受け移り居す。天正十八年己亥十月、宗家の嫌疑を蒙り、佐竹義篤自ら來り攻む所となり、義元戰死す、其子竹壽丸も自盡す、實に天文九年三月十四日なり城廢すと。此の氏新編國志には「字留野、那珂郡宇留野村より起る、義俊四子義公、刑部と稱す(正宗寺本系圖)。山入氏義に黨して大繩甚六の爲に殺さる。子義長·宇留野源兵衞と稱す。子長昌·源五郞と稱す。長昌の弟右近長行あり、小名鶴松·部垂に居る、永祿六年小田に戰死す」と·紋章扇。
(太田亮『姓氏家系大辞典 第1巻』磯部甲陽堂(1942年)2頁)
寛政重修諸家譜(記事名の出現頁・OCR照合)
- 『寛政重修諸家譜』(堀田正敦編、写本、国立国会図書館デジタルコレクション)巻[31]:34頁、38頁
- 『寛政重修諸家譜』(堀田正敦編、写本、国立国会図書館デジタルコレクション)巻[156]:55頁
- 『寛政重修諸家譜』(堀田正敦編、写本、国立国会図書館デジタルコレクション)巻[297]:114頁
系図綜覧(記事名の出現頁・OCR照合)
- 『系図綜覧』(国書刊行会編、1915、国立国会図書館デジタルコレクション)第一:69頁
- 『系図綜覧』(国書刊行会編、1915、国立国会図書館デジタルコレクション)第1:68頁
- 『系図綜覧』(国書刊行会編、1915、国立国会図書館デジタルコレクション):70頁