孫三郞四
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概要
関連文献
姓氏家系大辞典
ハキハラハキハラ第左京光安は越前家に仕ふ。23上野の萩原氏綠野郡藤岡の人萩原英助萬世は儒者として名あり、大麓と號す。その長男英助善留(文華)は樂亭と號し、二男鳳二郞公寵は綠野と號す。また樂亭の長男英助裕(公寛、好間)は四疇と號+、皆名あり。24中臣姓鹿島社々家也、次項參照。上ノ禰宜系圖に「親宗(天正十)-盛吉〓長九)、弟廣吉」と。鹿島條參照。又萩原家司神家系圖に「與次(慶長十)-廣次(元和四)」と。25紀姓常陸國鹿島郡萩原邑より起る。新編國志に「萩原。鹿島郡萩原臺より出10鹿島神宮の中侍從職を以つて家職とす。傳稱して紀氏とす」と見ゆ。鹿島尾張權守利氏注文に「宮本〓內·萩原、片淵の兩村·萩原三郞次郞入道跡」とあるは此の族なるべし。系圖に「紀姓」とし、廣行より系あり。26會津の萩原氏其の祖を川北三左衞門重宗と云ふ。近江の產にて、蒲生家に仕ふ(新編風土記)。27越後の萩原氏頸城郡の豪族にして、承元元年、親鸞三十五歲にして、越後にハキハラ同大配流せられし時、萩原民部少輔〓景(年景)は當郡の郡司たりしと云ふ。28藤原姓越前發祥にして、杏葉を家紋とす。29雜載古く讚岐に、萩原民部大夫義弘(貞觀)と云ふ人ありしと傳ふ。次に東艦卷五十一に萩原右衞門尉定仲あり。下りて德川時代、長岡牧野藩重臣、柳生藩用人見習、麻生新庄藩重臣に見え武鑑)、又加賀藩給帳に「百五十石紋(抱著荷萩原勘太夫、三十五俵外
(太田亮『姓氏家系大辞典 第5巻』磯部甲陽堂(1944年)4553頁)