姫野(1)
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概要
関連文献
姓氏家系大辞典
1筑後の姫野氏當國の名族にして、姫野家記に據るに「有重(姫野土佐守、甘木家恒の一老、大窪、屋形の用名を領して大窪宅に居る)-有正(加賀守)-有〓(瀨兵衞)-有包(治部丞) -有雅(對馬守)-有成(伊豆守)-有忠(左近大夫、主君家長·沒落の時、之に從ふ。而して主從の口を糊するに堪えず、故に舊里に歸Uて農耕を勤め、普返して家長と爲る。筑紫廣門の福島城に來るや、有忠を以つて、甘木村庄屋と爲す) -有晴(市左衞門、主家沒落の時才四歲、文祿四年、十にして、石村に注き、家長に仕へしが、之を扶持するに堪えず、加藤清正の臣鳩平次に請ひて有晴を養育す。有晴·隈本に往きて簡氏に寄食す。慶長二年、〓正に仕へて小扈從組と爲る、時に年十五、十六年〓正卒し、有忠に嗣なく、有晴をして歸らしむ。乃ち暇を告げて歸〓、父に繼いで庄屋たり。元和七年、其の役を嫡子與三兵衞に讓る。正保二年九月、家記を筆にして其の子に奥ふ) -與兵衞(元和七年に庄屋と爲る)」と小川氏云ふ「今の内田、甘木兩村庄屋喜三郞は其の子孫也」と或は云ふ「有晴の家は既に絕え、喜三郞は其の支流也」と特士軍談)。
(太田亮『姓氏家系大辞典 第5巻』磯部甲陽堂(1944年)4553頁)
華族類別譜(記事名の出現頁・OCR照合)
- 『華族類別譜』(柴山典編、1884、国立国会図書館デジタルコレクション)附録 巻之1:181頁