天童(3)
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概要
関連文献
姓氏家系大辞典
3山形天童兩家の爭天童治部少輔賴貞の子甲斐守賴澄(賴久)に至りて、最上義光と爭ふ。義光物語に「我は是れ古より代々下筋八舘の旗頭なり。今更·義光に願ふべき謂れなしとて、籠城に及び、下筋の城に觸れければ、馳せ集まる兵には、延澤城主日野能登守、成生藏人、飯田攝津守、長瀞左衞門、尾花澤藤左衞門、備岡上總助、六田兵衞(土生田播磨守も天童の旗下にや。此の人を加ふれば八楯となる)·右の人々手勢を引具して馳せ來る。山形勢は氏家尾張守を先陣にて、都合其の勢三千七百餘騎、天正六年、天童を攻めしも陷らず」と(風土略記)、縣誌提要に「天童の城山は一に愛宕森と號し、又舞鶴山と名づく。天正年中、城主天童頼久·最上氏の命を奉ぜず。天童、延澤、成生、飯田、長瀞、尾花澤、楯岡、六田、之れを八舘と稱す、各々勢感あり。頼久·當時其の旗頭たり。内·延澤の舘主日野能登守、梟勇にして智略あり。後山形に貳す。よりて賴久·遂に沒有すと0卽ち永慶軍記に「天正八年五月四日、山形の軍兵は延澤能登守を大將として、七百餘騎·押し寄せけるに、草刈孫九郞·大將の馬印を風になびかせ、天童甲斐守藤原の額澄·生年廿歲、只今討死するぞ、延澤父子はなきか、首取りて義光が見參に入れよといふまゝに、大勢に割つて入りしが、取り籠められて討たれ、首をば笠間與左衞門·取リにけり。大將の裝東なれども、首は正しく草刈が首なり。扨は主の命に代りて賴澄をば夜前おとしてこそあらん。追ひかくるも叶まじと、城中へは軍兵を入れ置きて、山形に注進す。朝澄は変前巳に關山を越して〓奥州宮城郡國分の方へ忍びおちにけり」と。
(太田亮『姓氏家系大辞典 第4巻』磯部甲陽堂(1944年)387頁)
寛政重修諸家譜(記事名の出現頁・OCR照合)
- 『寛政重修諸家譜』(堀田正敦編、写本、国立国会図書館デジタルコレクション)巻[18]:90頁
系図綜覧(記事名の出現頁・OCR照合)
- 『系図綜覧』(国書刊行会編、1915、国立国会図書館デジタルコレクション)第一:163頁
- 『系図綜覧』(国書刊行会編、1915、国立国会図書館デジタルコレクション)第1:162頁
- 『系図綜覧』(国書刊行会編、1915、国立国会図書館デジタルコレクション):165頁
本朝武家諸姓分脈系図(記事名の出現頁・OCR照合)
- 『本朝武家諸姓分脈系図』(写本、国立国会図書館デジタルコレクション)巻[212]:12頁
華族類別譜(記事名の出現頁・OCR照合)
- 『華族類別譜』(柴山典編、1884、国立国会図書館デジタルコレクション)(明治15年)下巻:149頁
- 『華族類別譜』(柴山典編、1884、国立国会図書館デジタルコレクション)附録 巻之1:162頁
- 『華族類別譜』(柴山典編、1884、国立国会図書館デジタルコレクション)上巻皇別:42頁
- 『華族類別譜』(柴山典編、1884、国立国会図書館デジタルコレクション)上巻皇別:41頁
文献(NDLサーチ・Amazon)
- 天童市立旧東村山郡役所資料館『天童氏と天童古城』天童市立旧東村山郡役所資料館(2005) 国立国会図書館サーチ
- モリス・志田清一『天童家文書』多賀城市文化遺産活用活性化実行委員会(2014) 国立国会図書館サーチ
- 瀧川ちかこ「市指定文化財 天童家文書・菊池家文書」多賀城市埋蔵文化財調査センター年報、33頁(2020) 国立国会図書館サーチ
- 半田正博・大山龍顕「多賀城市所蔵「天童家文書」の保存修復」東北芸術工科大学文化財保存修復研究センター年報、19頁(2012) 国立国会図書館サーチ