大村(4)
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概要
関連文献
姓氏家系大辞典
4太宰府の大村直弘法大師行化記引用大同二年の太宰府牒に觀世音寺巳綱。入唐廻來學問空兼師。右件の僧、笈を遠藩に負ひ、大道に耽嗜し、空往、滿歸、優學稱すべし。今歸朝に及び、暫く彼の寺に住す、宜しく入京の日に至るまで、借住の例に准じ、供養を宛つべきの條、件の狀前の如し、故に牒ず。大同二年四月廿九日、正六位上行大典大村直權歷。大貳從四位下藤原朝臣藤嗣」と。この事、高野大師御廣傳上に「二年四月廿九日、大貳從四位下藤原藤繼朝臣、府牒を觀世音寺三綱に送る云々」と、又弘傳略頌抄に「正六上行大典大村直繼廣」と見ゆ。この大村直は、蓋し肥前大村家より大典に補せられしにて、(これより前延曆四年七月、大村直池麻呂·因幡介たり)、後·前項の如く大村直が紀朝臣姓を賜ふや、また紀朝臣姓を稱す。太宰府語第の府官紀氏·卽ち此の裔なるべし。其の後、貞觀八年七月、肥前藤津郡大領葛津貞津、高來郡擬大領大刀圭、彼杵郡人永岡藤津等が、新羅と通じて兵を擧げんとせし事あリ。幸に陰謀早く濁れ、事なきを得、而して是等叛人の私領地は沒收され、其の弘法大師行化記引用地は當時太宰帥にて御座せし光孝天皇の御爲に建立せし仁和寺の所領となれり。これ仁和寺藤津御領にして、大村氏は實に其の庄官たりしなり。其の他、肥後の菊池氏、肥前の高木氏、筑後の上妻、草野等、何れも太宰府々官紀氏の族にて、大村氏と密接なる關係を有するものと考へらる。各條を見よ。殊に高木氏は大村氏より分れし氏なるも、肥前國府に勢力を占め、鎭四有數の大族たり。
(太田亮『姓氏家系大辞典 第2巻』磯部甲陽堂(1943年)1151頁)
系図綜覧(記事名の出現頁・OCR照合)
- 『系図綜覧』(国書刊行会編、1915、国立国会図書館デジタルコレクション):358頁