大志貴
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概要
関連文献
姓氏家系大辞典
大志貴縣主と云ふ氏あリ、多臣の族、志貴の大縣主の裔なるべし。姓名錄抄に見ゆ。れば、彼下知に屬する者無し、然れ共、三州の住人戶田彈正少强、諏訪信濃守等、職ほ大河内が殘徒を催し、遠州え亂入して合戰度々に及けり。就中三州の堺船方由の城代多末又三郞と云ふ者、今川方にて在りけるを、彼一揆等攻落し、又三郞討死しければ、掛川の城主朝夷奈備中守泰以又兵を將ひ、寄來りて船方の城を攻取30角して遠州にも合戰の隙無りしが、終には國人等今川家え歸服して斯波家は衰へ果にけり」とo猶ほ引間城は大河内兵庫助の築きし城也とも云ふ。(宗長手記に「濱松庄(吉良殿御知行)奉行大河内備中守(三州之住人源三位賴政末葉)堀江下野守にくみしてうせぬ。其刻飯尾善四郞賢連吉良より中下され、しばらく奉行とす」)と。14尾張の大河内氏三河大河內の祖中島兼綱の子大河內源太顯綱は尾州中島に赴き、後三河に移る、(尾張志)。海部郡犬井村村君十四家の內に大河内氏あり。又海部郡佐屋村に大河内竹右衞門と云ふ舊家あり。先代は、大庄屋を勤めし素封家なり。口碑に依れば、先祖は德川氏の幕下にして、修理大夫と云ふ武特なりしが、
(太田亮『姓氏家系大辞典 第2巻』磯部甲陽堂(1943年)1151頁)