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大岩(2)

提供: 氏族家系データベース

概要

関連文献

姓氏家系大辞典

2氏平以前の大泉莊司のことは詳かならず。庄内物語に「昔源義家、後三年の合戰に、武衛家衡誅伐の時、大泉に陣し、利を得給ふ。地の利宜しきより藤原光廣に此所を賜ふ。其の後承久二年、平義時·後鳥羽院を隱岐國へ流し奉る時、光廣が三代の孫大膳亮廣利、其の子利部大夫廣正を鎌倉へ召し、蝦夷が島へ配流の由、龍峰道程記、王代古遷記にあり」など云ひ、又羽源記に「古へ光衡といひし人·出羽國司となりて、大寶寺に在城せしが、羽黑衆徒叛逆により、大中島にて切腹、やがて時の關白殿下公達の中を、出羽の國司と成されて下し賜ふ。後深草院の頃とかや」などあれど傳說に過ぎず。光衛とは更鑑の氏平の事を誤るならんか。或は云ふ、大泉庄は、もと平泉藤氏の配下田河太郞の所領たりしを、文治奧州征伐後、之を武藤氏に與へしものならんと。猶ほ駿河、上總、常陸、城跡伊那郡大泉邑にあオホイツオホイツオホイツ-オホイハ一五 オホイハ-オホイヒオホイモーオホイラオホイラ-オホウチ〇六〇後』とあり。其の後肝屬高山の城主肝付八郞兼重、大始良を併せ、建部年中、其の弟五郞九郞兼成を城主とす。觀應二年·乗成橫山城を拔く。失目某、兼成が歸路を待ち、不意を狙ひ撃つて、終に兼成を殺し、大始良城を取る。檜井賴仲兵を率ひ來り、忽ち當城を陷れ、部下の將をして守らしむ。三月禰寢〓成、〓種、又是を拔く。其の後輪井賴仲、又當城を陷れて、自ら是に據る。文和元年島津氏久大隅の亂を鎭め、同〓内城に入る。延文二年〓仲敗死して、氏久又志布志に移る」と見ゆ。

(太田亮『姓氏家系大辞典 第1巻』磯部甲陽堂(1942年)2頁)

系図綜覧(記事名の出現頁・OCR照合)

  • 『系図綜覧』(国書刊行会編、1915、国立国会図書館デジタルコレクション)第一:100頁
  • 『系図綜覧』(国書刊行会編、1915、国立国会図書館デジタルコレクション)第1:99頁
  • 『系図綜覧』(国書刊行会編、1915、国立国会図書館デジタルコレクション):475頁

華族類別譜(記事名の出現頁・OCR照合)

  • 『華族類別譜』(柴山典編、1884、国立国会図書館デジタルコレクション)(明治16年)上巻:49頁
  • 『華族類別譜』(柴山典編、1884、国立国会図書館デジタルコレクション)(明治17年)上巻:144頁
  • 『華族類別譜』(柴山典編、1884、国立国会図書館デジタルコレクション)下巻神別,外別:107頁

新撰姓氏録考証(記事名の出現頁・OCR照合)

  • 『新撰姓氏録考証』(栗田寛著、1900、国立国会図書館デジタルコレクション)巻之11-21:252頁

系図・系譜

関連論文

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