大宅(9)
概要
関連文献
姓氏家系大辞典
9大宅朝臣第一項大宅臣の後にして、天武紀十三年條に「大宅臣云々、姓を賜ひて朝臣と曰ふ、」とあり。東大寺奴婢帳、天平十三年閏三月七日の右京職移に「大養德國添上郡志茂〓少初位下大宅朝臣賀是麻呂」及び天平勝賣元年の大宅朝臣可是麻呂貢販解に「添上郡大宅郷戶主大家朝臣可是麻呂」と見ゆるは此の氏人なUO又仁和元年十二月紀に「左京人大宅朝臣宗永、一と、これも同族か。10山城の大宅朝臣前項と同族にして、山城大宅臣の朝臣姓を賜へるものなり。承和三年五月紀に「山城國人遣唐史生大宅臣福主、臣を改めて朝臣を賜ふ、」と見ゆ。11以上、春日族大宅氏は上古よリ中古初期大いに榮ゆ。第一項に載せたる臣姓の人以外、朝臣姓の人には、持統紀三年に大宅朝臣麻呂あり、判事となる、八年直廣肆なりしが鑄錢司に拜せらる。次に金弓(大實元年治部少輔從五位下、和銅元年正五位下伊勢守、二年賜當國(伊勢)田各一千町、穀二百斛、衣一襲、美其政續也、四年正五位下)、大國(和銅七年從五位下上野守、養老三年攝津守、神亀元年正五位上、三年從四位下、天平九年散位從四位下卒、天平二年の大倭國正稅帳に從四位下行守大宅朝臣大國とあり)、小國(養老三年從五位下)、兼(養老五年從六下)、諸姊(養老七年從五上、天平八年八月の内侍司牒に從五位上典侍とあり、天平九年正五下、十一年從四下)、廣麻呂神龜三年從五下、前述せし天平十三年の左京職移に従五下とあり)、家長(天平勝寶元年八月の經師上日頓に大宅朝臣家長)、牛養(神急四年正五下)、君子(天平十年外從五下、筑前守、十七年從五下)、人成(天平實字元年從五位下、左兵庫頭)、宅女(天平神護元年從五位下、延曆二年正五位下)廣人(神護景雲元年從五位下)、吉成(寶龜九年從五位下、左大舍人助)、廣江(延曆四年從五位下、五年美濃介、丹波介、六年丹波守、大蔵少輔、九年丹波守)、廣足(延曆十一年從五位下)(逸史)等、甚だ榮えたる家なるに、後衰へしと見え、長く此の氏の人を見ず。天長十年大宅臣宮唐麻呂(近江椽)あれど、何れに屬すべきか不明なり。又承和十三年に至リ大宅朝臣年雄(從五位下、齋衡二年散位頭)あり、三代實錄には、近直、宗永、淨統(算博±、正五位、大炊權尤、)等見ゆ、皆朝臣姓なり。12大宅眞人敏達帝の奇路氏の族なり。天平十九年正月紀に「國見眞人眞城、改めて大宅眞人の姓を賜ふ、」とあるより起る。姓氏錄、左京皇別に收め、「大宅眞人、路眞人同祖、續日本紀に依り、刋定」と計す。13大宅忌寸部比の族、大宅首の忌寸姓を賜へるものなるべし。大同類聚方二十七に「大里藥、紀伊國物部等家傳、大屋忌寸等家の方也」と見ゆ。山城の大宅氏春日氏の族山城大宅朝臣の族なり。天平寶字二年二月廿四日の〓工司移に「大宅廣足、山城國紀伊郡」と。15大和の大宅氏大宅朝臣の後なれど、後世振はず。中世·當國に大宅庄あり。16越前の大宅氏天平神護二年の足羽郡司解に「主政少初位下大宅人上」と見ゆ。今立郡大屋〓とある地の屯倉の職員か、此の國に大宅部のある
(太田亮『姓氏家系大辞典 第2巻』磯部甲陽堂(1943年)1151頁)