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大伴部(1)

提供: 氏族家系データベース

概要

関連文献

姓氏家系大辞典

單に大件部と云ふは多く大伴連の部曲と思はる。但し大伴氏は太古以來久米部を率ゐしなれば、別に大伴部と云ふもののあるは不思議なれど、久米部は公の品部にして、公の職掌を有し、大伴速は事實は兎に角、表面は唯その頭梁と云ふに過ぎざれど、大伴部に至りては、純然たる大伴連の私有部曲たりしが如く考へらる。卽ち大伴氏の私民たりしなり。大伴連が多くの部曲を有せし事は雄略紀二十三年條、天皇の遺部に「大連大伴室屋を指す)等は、民部廣大にして國に充〓す」と見ゆるによりて竄ふを得べし。忌寸姓なり。ミLo 2膳大伴部膳臣が率ゐし品部にして、膳夫として仕奉り、且つその費用を出せしなるべし。膳夫ばカシハデ條を見よ。古事記景行段に「膳之大伴部」と 0また景行紀五十三年條に「故れ六雁臣の功を美めて、膳大伴部を賜ふ、」など見ゆ。其の詳細は高橋氏文に見ゆ。曰く、「此行事(行事とは膳夫の行事なり)は、大伴立て雙べて、應に仕へ奉るべき物と在れと勅して、日竪日橫、陰面背面の諸國人を割移して、大伴部と號けて、磐鹿六塲命(膳臣の祖)に賜ふ。又請の氏人、東方諸國造十二氏の枕子、各々一人進めしめて、平次比例給ひて依さし賜ひき、」と。卽ち東方諸國造より人を奉らしめて此の部を設置し、六塲命に命じて此の部を支配せしめ給へるなり。姓氏錄、左京皇別に勝大伴部、阿倍朝臣同祖、大彥命の孫磐鹿六雁命の後也。景行天皇·東國を巡狩して、上總國に至り、海路より淡の水門を渡り、海中に出でゝ、白蛤を得。是に於いて磐鹿六雁、膳と爲して之を進む。故に六雁を美めて、膳大伴部を賜ふ、」と。此の部民が六厘命の裔と云ふは此の部の長連姓ななる膳臣の系を冒したるにて信ずべから十。弘仁十四年、大伴を改めて伴となし給ふや、此の部も以後膳伴部と云ふ。此の部又單に、大伴部とも稱するを以つて、大伴連部曲の大伴部と混じて區別しがたき事少からず。されど唯大伴部とあるは大凡大伴連の部曲にて、膳大伴部とあるは膳臣配下と思ふべし。

(太田亮『姓氏家系大辞典 第2巻』磯部甲陽堂(1943年)1151頁)

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