多比良(1)
表示
概要
関連文献
姓氏家系大辞典
和名抄、伊勢國飯高郡に上枚〓、下枚〓を載せ、前者に加半都多比良と註し、今昔物語には伊勢國平〓とあり。また後世、田枚邑とも見ゆ。その他、上野、肥前、薩摩等に此の地名存す、猶ほ多かるふ。ソんっ1上野の多比良氏多胡郡多比良邑より起り、又平、田比良に作る。氏人は早く、東鑑に多比良小次郞(正嘉二年)を載せ、下りて甲陽軍鑑に「たいら衆四十騎、」また上野國志に「新堀城、多胡郡、田比良豐後守友定·居る」と云ひ、管窺武器に「天正十八年、小田原陣の時、越後の藤田能州は、永井殿を三ツ山へ本意させむと、地下人共の方へ計策を致さるゝに、古主なれば、悉く思ひ附きて、申し越すには、近邊、平の豐後守と申す侍、平の居舘を掻上げ罷リ在リ、外に左のみ手に立つ者無しと申す。能州·卽ち松枝より夜中に備を押し、地下人を待ち受け、平を取卷く。豐後守は一子一郞を人質に出し、降參也。其の後、豐後·北條氏國へ内通の事顯はれ殺さる。一郞は召仕はれしも、三年目に病死し跡絕ゆる也(地名辭書)」と見ゆ。
(太田亮『姓氏家系大辞典 第4巻』磯部甲陽堂(1944年)387頁)