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夏目(3)

提供: 氏族家系データベース

概要

関連文献

姓氏家系大辞典

3參河の夏目氏當國の豪族にして、第一項の族なりと。幡豆郡六栗城(六栗村)は其の居城にして、二葉松に「夏目次郞右衞門吉信(定國)、永祿六年九月一向一撲の節、大津土左衞門(半之丞)、乙部八兵衞と共に籠る。松平主殿助伊忠·攻めて之を陷る」と。又「夏目吉住一揆」など見え、又野場城(野場邑)も夏目氏屋敷也と云ふ。又「設樂郡森長村古屋舗は夏目奎左衞門」とありこの氏の事は、夏目系圖に「〓和源氏、家紋藩架菊。傳稱す、源滿仲含弟從五位上下野守滿快の八代國忠·頼朝卿に仕へ、奥州泰衛を討つの賞に依り、始めて信濃國夏目村地頭職を賜ふ。其の子孫·夏目を以つて氏と爲す。其の末葉·信濃より參河國に移ると。吉久(九郞左衞門、參河國に產る、法名行〓。先祖より參河國吉久に住して、〓康公、廣忠公に奉仕す) -吉信(次郞左衞門。注名行譽。東照大神君に仕へ、參河、遠江兩國の郡史を動め、數度の戰場に供奉。元亀三年壬申十二月二十二日、大神君·甲州武田信玄と、三方原に戰ふ。吉信·命を奉じて濱松城に留守し、職期至るに及び、吉信·城樓に登り、勝負の勢を望み、神君の不利を見、速かに馳せて三方原に到り、白して曰ふ、敵勢競ひ進み、麾下の軍魔して殆んど危し、請ふ早く濱松城に入リ、再擧を侍つべき也と。吉信·手に十字館を提げて園中に入り、二人を衝き殺して死す、時に歲五十五。其の屬士亦皆命を殞す。此の間に神君·既に城に入り、敵亦追ふ能はず爲。神君·天下を一統するに及び、信次、吉次を召して曰ふ、我れ死を免れ、以つて國家を治するは、汝等父の忠義也。昔時、汝の父なかりせば、豈今日の榮あらん乎と) -某(二人早世)、弟吉爲(次郞左衞門。大神君に奉仕す。慶長七年、神君·吉信の前忠を追賞し、議して伊豆國韮山城、一萬石を以つて吉爲に賜ふ。釣命來り下リ、同年十一月二十一日、病に嬰りて歿す、歲四十一。擧世以つて不幸と爲す。法名道圓)、第信次(長右衞門、法名行春、子孫あり)」と。次に信次の弟「吉次(木工左衞門。初め肥後國に在りて加藤清正に仕ふ。其の間、肥後國天草亂る、〓正·撃つて本渡城を攻む。時に吉次·其の同僚津田奥兵衞と共に、敵と隍を隔てゝ鎖を合せて城に入リ.三創を被りて、其の名を顯はす云々後に幕府に仕へ、五百六十石。寛永二十年六月十四日歿)-吉正(源兵衞。肥後國に產る。大猷院殿に仕へ、大御番。寬水廿年癸未十月廿四日歿。弟吉尙は才兵衞、子孫あり) -吉成(木工左衛門)」と又夏目系圖に「左近將監國平-大藏丞國宗(二郞)-九郞國泰-太郞信泰-八郞國信-源大夫信義-九郞大夫信公-內記信重-大學助信盛-二郞泰國-源太奏朝-子五郞泰秀 九郞信秀-左衞門國次-藤太郞信治(藤太) -隼人佑秦吉-二郞九郞吉秀-九郞左衞門吉久-次郞左衞門吉信(三方原の戰の時、家康に代リ討死す)-次郞左衞門吉忠(初め吉爲、孫惣。伊豆韮山一萬石)-宗吉(萬千代)」と。宗吉に嗣なく絕家。家紋間狹菊。支庶九家。信次の後は「信次-右衞門八郞安信信譽)-甚五左衞門信廣(信顯)-吉顯」な!!又吉成の後は、其の子「木工左衞門直重-友之進直政-忠次郞直時-爲直」也し公方持氏の四男、永壽王殿を盗み取り、信濃國邊土の民間に深く置すと。アリタ、アシカガ、コガ等の條を見よ。定景の子定基の代に、上杉殿の命によりて、武州八幡山に移る。夏目定房も此の流か。

(太田亮『姓氏家系大辞典 第4巻』磯部甲陽堂(1944年)387頁)

尊卑分脈(記事名の出現頁・OCR照合)

  • 『本朝尊卑分脈』(洞院公定撰、写本、国立国会図書館デジタルコレクション)巻[8]:36頁

本朝武家諸姓分脈系図(記事名の出現頁・OCR照合)

  • 『本朝武家諸姓分脈系図』(写本、国立国会図書館デジタルコレクション)巻[69]:54頁

華族類別譜(記事名の出現頁・OCR照合)

  • 『華族類別譜』(柴山典編、1884、国立国会図書館デジタルコレクション)(明治17年)下巻:86頁

系図・系譜

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