壺岐守(4)
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概要
関連文献
姓氏家系大辞典
4上蒲池志摩守鑑廣の後にして、山門郡山下城に據る。大友記に「大友旗本の大名、筑後國蒲池志摩守鑑廣(宇津宮彌三郎基綱末孫)、其の子兵庫頭鎭運」と載 せ、筑後領主附に「一蒲池勘ヶ由鎭行(嵯哦天皇の末字津宮、一本志摩守)、山下城に居り、五百四十町を領す」とニ鎭四要略に「永祿中、蒲地志摩守置廣は山下谷川二城に據る」to山下城は蒲池物語に人見城に作る。「蒲池親廣·水正中、此處に館を構ふ」と。又「兵庫頭鎮廣、蒲池城を引きて、此の山に移す」ともあリ。九州軍記に「天正十二年、鎭連·山下城に據り大友の命に叛きければ、攻落さる」と云ひ、廢城考には「永祿中、志摩守鑑弘、山下城を以つて大友氏に屬し、天正中龍造寺に攻められ、四年にして降る」と。筑後國史には「龍造寺等、數々攻め來れども拔く能はず。鎭運卒して、其の子彌六太·僅に六歲、遂に沒落」と。系圖に「鎭廣-鎭運(兵庫頭、式部)、弟鎭行(掃部允)。」又南築明覽に「鎭廣、鎭運、相續して之を保ち、秀吉征四の後、所領沒收せらる」とあり。三瀦郡大藪城·下妻郡下妻城は其の屬城也。
(太田亮『姓氏家系大辞典 第2巻』磯部甲陽堂(1943年)1151頁)