壺岐守(1)
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概要
関連文献
姓氏家系大辞典
條參照。)-懷久(臺岐守、延文四年、筑後大原に戰ひて討死す、子孫筑後に多し)-久則(多くは久憲に作る。蒲池壹岐守、父討死の後、三潴郡蒲池に住す。爾來子孫西國に多し)-義久(同壹岐守。弟の則房は紀伊守養子とあり)-繁久(同左馬大夫)-親久(同兵庫頭ー治久(同筑後守) -鑑久(同武藏守、一本に近江守)-艦盛(同近江守、入道宗雪、柳川に在城し、下蒲池と號す。天正六年十一月十二日、日向耳川に於いて討死、五十五)-釧久(同左馬介、討死)-熊千代(父討死の時、母と共に同國鹽環村に逃れ、遂に土着して民家となる〕」と。次に鎭久の第「鎭種或は並に作る。彈正左衛門、民部大輔、天正十一年五月廿七日、肥前與加に於いて、隆信の爲に殺さる。一本天正八年。法名覺英)-宗虎丸(母は赤星周防守親隆ウィ、六歲にして卒す)」と。次に鎭〓の弟「統安(一本に並安。天正五十一十一、耳川にて討死、一萬丁を領す。(同左近大夫、駿河守。隆信の甥諫早七郞左衛門宗治の爲に殺さる、其の怨靈·崇を爲し、筑後冲端に祠し、二宮と號す。肥陽軍記には統春·鹽塚村に楯籠ると) -宗眞房(彥山、池坊豪鐵法印と號す)」と。次に統安の弟「左馬大輔(獨盛の長子、落胤たるによりて家を續がず。鎭漣と同じく死)-美作守貞久(龍造寺家晴に屬す)」と。また盤久の弟「親廣(同和泉守) -鑑廣(同志摩守、山下に居城し、上蒲池と號し、八千町を領す)-鎭運(同兵庫頭、式部)、弟鎭行(同掃部九)」と見ゆ。古本九州記卷七に「天正七年九月、蒲池鑑層、同源太郎氣實·龍造寺隆信に降る」と又一本系圖に「鎭行第鎭種(又鎭胤、民部大輔)」を收む。
(太田亮『姓氏家系大辞典 第2巻』磯部甲陽堂(1943年)1151頁)