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壯子

提供: 氏族家系データベース

概要

関連文献

姓氏家系大辞典

正訓不明。○壯子首景行帝裔にして、景行本紀に「豐二八八又小野春高あり、勅を奉じて人麿の圖像を書く。又石清水文書、天承二年閏四月太宰府在廳官人等の解に「監代小野」見50又應仁私記に「小野太郞左衞門秀信(小野)」、安西軍策に小野太郞右衞門尉あリ。本多出雲守忠朝の家臣に小野勘解由あリ、大阪陣に死す、法名峯譽殘雪信士、大阪一心寺に墓あり。80德川時代、伊達藩用人、糸魚川松平藩側用人、宗藩重臣、姫路酒井藩番頭用人、濱松井上藩添役、奥板井伊藩重臣に此の氏あり。又井伊兵部少輔の家老小野七郞左衞門、鯖江藩に小野文治、田中家臣知行割帳に「三百石、小野喜右衞門」筑後領主附に小野氏、越前秀康卿分限帳に「二百石、小野惣兵衞、」京極殿給帳に「三百石、小野仁右衞門、」東作志に「小野左大夫、十津川〓鎗役由緒家筋書に藤堂和泉守御預所大阪陣の節德川方小野惣左衞門。小野宗左衞親類書之覺に「一祖父小野宗左衞門と申候、三十六年以前に相果申候る一父小野喜左衞門と申候、四拾四年以前に相果申候。知行高五百石、但し三百石近江にて拜領、貳百石大和にて拜領同心貳拾人、但壹人に御切米拾石、御扶持方三人扶持。延竇三年卵十月十二日。本國生國近江。小野宗左衞門(黒印)印の文貞春、歲五十七」と見ゆ。又棍左兵衞督慕碣銘に「朝士小野良純者、其先良直甞事于公会矣、」と。尾野ヲノ備前に現存す、小野氏に同じきか。

(太田亮『姓氏家系大辞典 第1巻』磯部甲陽堂(1942年)2頁)

系図・系譜

関連論文

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