堤(藤原北家高藤流)
概要
関連文献
姓氏家系大辞典
9堤家(藤原北家高藤流)尊卑分脈に、「高藤七世孫坊城大藏病爲房-冷泉中納言朝隆-朝方(號堤大納言)-朝定(中宮大進)-朝基(能書、勘解由次官)」と見ゆる10堤家(藤原北家良門流)尊卑分脈に、「良門-利基(高藤の兄)-兼輔(號堤中納言、承平三二十八薨) -雅正(刑部大甫〕-爲賴-伊話-賴成(因幡守、實は中務痢具平親王男也。親王の命に依り、伊祐·收養して子と爲す也)-〓網-隆時-〓隆(猫間大〓言)-光隆(權中納言)-家隆-隆祐-俊隆-各隆-季隆」とaまた爲頼の弟「爲時(越後守)-惟規-貞職-盛綱-盛國-邦綱(權大納言)-重邦-邦成」とあり。その他、近藤、繪所、猫間、五起、莒崎、磯部、壬生等の條を見よ。11堤家(藤原北家高藤流)第九項の稱號を復興せしならん。甘露寺嗣長の二男中川縫殿頭貞長を祖とす。其の男輝長に至リ、初めて堤を稱す。「輝長-爲任-爲量-暗長-代長-榮長-敬長-廣長-維長-言長-哲長-功長-雅長、」にして、德川時代、名家、新家、勸修寺流。御藏米(三十石三人共持、現二百六十一石餘)。二階町切通上る東側。寺は松林院。外樣。功長、その子雄長、子爵を賜ふ。堤御合印12また堤正誼は男爵を賜ふ。その子壽也。13堤黨賀茂社に堤黨あり、拾七人、神戶の人民·これを勤む。14大和の堤氏高市郡靈鷲寺天文二十一年三月文書に堤主計助殿、また永藤十年三月二十一日の一紙連判狀に「越智伊豫守使堤又兵衞吉〓」など見ゆ。15度會氏族伊勢外宮祠官にして、二門系圖に「廣雅(二顧宜、牛草)-守康-貞廣(河崎)-家廣(一個)、建曆二·十二月十薨)-長廣-師廣(權福宜)-超心-康名」とあり。16荒木田姓內宮權國宜家筋書に一九九荒木田姓。首磨二男石門が二十世孫盛元の男荒木田盛廣の後」とあり。その他、八家あり。又地下權國宜以下にも存す。17伊勢藤姓神宮記錄に堤(飯高郡少領)、藤原朝臣、元·木澤氏を稱す」と見ゆつ18堤莊司近江國岡谷村に宅野あり。平治の亂、賴朝を隱す。後此の地を賜ふ。瓦〓、千種等の條參照。 9三河の堤氏碧海郡堤邑より起る。康正段錢引付に「一貫百五十文、堤新次郎殿·三河國重原庄也。內擴段錢」と平治物語に重原兵衞父子あり、その奇か。第二十八項參照。又長享將軍江州勤座着對に、堤彌三郞·見ゆ。20菅原姓家紋黑餅の内梅輪內、菊斧。江戶幕臣にして、寛政系譜に「彌大夫光忠(宗三郞)-光追」と一に藤原姓良門流とあり。21遠江の堤氏堤中納言兼輔の後裔と稱す。アサヒナ條を見よ。22紀臣姓紀氏系圖に「兵三武者實直の子、(大井)實春の第實能(堤六郞)」と見뽕23近江の堤氏甲賀廿一家の內、柏木三.家の一に存し、又蒲生家臣に堤五左衞門·見ゆ。第十八項參照24〓和源氏滿快流信濃國水內郡堤邑よリ起る。尊卑分脈に「滿快-滿國-爲滿-信乃守爲公-爲氏(堤源三)」と見えた"その子を爲廣と云ふ。又中興系圖に1番〓和、本國信濃、左衞門尉滿快が四代信農守爲公の男源三爲氏·これを稱す」とo 25上野の堤氏山田郡堤邑より起る。東鑑卷五十二に堤又四郞、また名跡志に「吾妻鏡の堤五郞は此の邑人ならん」と見ゆ。26〓和源氏前項上野の堤より起る。太平記卷十四に堤宮內〓律師、堤卿律師等を擧ぐ。27〓和源氏南部氏族陸奥國津輕郡堤邑より起る。南部系語に「通繼-信時-康時(光康、堤浦を知行し、彈正左衞門と稱す)-孫六則景(鬼孫六)-彈正宗七」とあり。今の青森附近を領す。堤城はつがるしるべに「橫內の東五町字龜井の城址は、九十四四方にして圓形なり。故に鏡の城ともよばる。昔·堤孫六則景·此に居りて、東濱を領知す。剛勇·世に聞えて鬼孫六といはれたり。然るに、其の子彈正、油川落城の際、難儀の身に及ばんことを恐れ、城を捨て遁れ、後高陣場に於いて殺さる。横内村常福寺に、其の位牌、並に遺物、今尙ほ存す」と又一統志に「天正十三年三月、大浦爲信、油川を攻め取り給ひ、僧坊賴英が本堂に逗留在りて、外濱筋御沙汰有けるに、高田、荒川、橫內邊の者共、悉く御味方に屬しける。横內の城主堤彈正左衞門は、其の父孫六、先年南部の櫻庭合戰の授兵として、爲信公の父(武田基三郞殿)出陣の砌、副將と爲り、共に討死せし者の子といひ、殊に親しき外戚なれども、向武義に缺たる者なりしかば、之を追ひ落さる」(地名辭書)と。又櫻庭城は堤孫六の居城、二戶郡斗米村に在りと。28越中の堤氏第十九項參照。康正二年造内引付に「十貫文、堤新次郞殿、越中國般若野段錢」と載せ、「又十貫文、堤新次郞殿·越中國段錢、般若野庄」とあり。雜載小給地方由緒書に「美濃郡代辻六郞右衞門支配·堤方の者三人、堤方御用相勤」とまた「傳奏屋敷番、堤金左奮門。權現權御代、天正三亥年、祖父金兵衞、遠州濱松に於いて召出さる。同年長篠御陣供奉仕る」とあり。又高鍋藩用人、高崎松平藩家老等に見え(武鑑)、又堀尾山城守給帳に「三拾石、堤五郞兵衞後家」とo又田中家臣知行割帳に「二百五十石、堤五平太」見ゆ。その他、江戶の國學者に堤三五郞朝風(幕臣)、美作森家臣に堤氏、又熊本細川藩に堤彌三郞·存す。殊に堤松右衛門義次は勤王の士として名あり。又堤氏一英あり。又下野芳賀郡の人堤寶山(山城守)は、賣山流捕術の祖として名あり。又常陸、信濃、美濃、肥前、備前、志摩等に存す。津々
(太田亮『姓氏家系大辞典 第4巻』磯部甲陽堂(1944年)387頁)