堀切(1)
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概要
関連文献
姓氏家系大辞典
武藤、岩代、越後等に此の地名存す。1〓和源氏新編風土記、埼玉郡條に「中馬場村諏訪社は、村の鎭守なり。妙光寺の持にて、同寺に藏する社傳あり。其の略に信濃國の住人高梨監物仲光は國の亂を避けて當所に來り、堀切監物と改め、當時の權越となれり。されば己が氏神本國諏訪明神の像寸餘なるを懷にし、年來信仰せしに、妙光寺開山白正が彫刻せる諏訪の神像ありしをもて、彼の寸餘の像を其の腹籠となし、こゝに社を建て、永く當所の鎭守となせり。延德三年正月廿七日のことにして、後永祿年中、天照皇大神、八幡の二座を合祀せる由を載す。此の監物が子孫今は絕たれど、中ごろ草加宿へ移りし事ありし故、かの地には其の分家殘れりと云ふ」とあり。高梨條參照。又埼玉に存す。又下總鹿山の人堀切数次郞は寬政の頃、と爲せり。當國の此の氏に鷹羽打違を家紋とするものあり。
(太田亮『姓氏家系大辞典 第5巻』磯部甲陽堂(1944年)4553頁)
寛政重修諸家譜(記事名の出現頁・OCR照合)
- 『寛政重修諸家譜』(堀田正敦編、写本、国立国会図書館デジタルコレクション)巻[200]:44頁