城仙(1)
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概要
関連文献
姓氏家系大辞典
同上。危寸キソ○危寸村主倭漢氏の族にして、坂上系圖の下、武伊豆國田方郡に吉ケセマ條を見よ。同上。倭漢氏の族にして、坂上系圖れて降り、信玄の息女を娶り、武田の一族となる。天正十年正月廿日、勝頼に叛き、織田氏に通ず。)-義利(下總阿知戶に於いて一萬石を領す。後沒收)-義展」と0筑摩郡須原城(今大桑村須原)は義仲の後裔木曾又太郞家村(足利尊氏に屬す)以來、木曾氏代々此の館に住む。天文年間、大通寺に移るとぞ。又御嶽城(王瀧村上〓は甲艦にヲンダケ城とあり。木曾左馬頭義昌の居城也。弘治元年八月廿二日、武田家臣甘利左衞門晴吉·之を攻む。義昌拒ぐ能はずして降る。又福島館あり、天文十四年、木曾義在此の新館に移る。同廿四年四月信玄、討入ロボ、館を焼きて御嶽城に移り、同八月、義康·又出でゝ福島の要害に據り、義昌は八澤の城に籠る。後武田氏に降り、豐臣氏の世、下總に移リ慶長に至リ福島に歸る。
(太田亮『姓氏家系大辞典 第2巻』磯部甲陽堂(1943年)1151頁)