垂水(和氣氏族)
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概要
関連文献
姓氏家系大辞典
9筑後の垂見氏山門郡の垂見邑より起る。元亀天正の頃、垂見常陸介ありて、薄池鎭並の爲に垂見城を守る。10和氣氏族廳仁私記に「垂水次郞(和氣〓顯)」と見えたり。11伊勢の垂見氏安濃郡の垂見邑より起る。安東沙汰文に緑斗二升、垂見越中入道」を載せ、塔世寺康平年中古文書に垂水里の名を載す。參宮名勝圖會に「昔垂水廣信と云ふ人、後醍醐帝に仕へ、諫言納れたまはざりければ、退きて此に耕흥。諫爭錄と云ふ書あり」と說く。其の諫爭錄は爲書にて、廣信と云ふも鳥有也(先哲叢談)。又名勝志に「垂水城址。一名蠶城、或は躄山城に作る。垂水村字井戶谷の山上に在".東西拾間、南北三拾間の平地たり。濠址尙ほ存す。古老傳へ云ふ『垂水定信始めて之を領し、四世廣信に至り後醍酬天皇に仕へて功あり。後諫言行はれざるを以つて、此の地に退居す』と按ずるに、廣信の事蹟本朝諫爭錄に載す。又度會郡永井村に其の裔あり。系譜、及び古記等を藏す。系譜に『文應元年生、延元元年三月卒、年九十七、法名萬光院殿諦山道空居士云々』と記す。然れども他の史乘、古文書等に見るべきなし。蓋し本村に北畠の臣垂水釋加坊あり、或は之が居址ならんか」と見ゆ。12越後の垂水氏岩船郡湯澤城(湯澤村)の城主に垂水左衞門尉あり。13雜戰撰解文集に垂水氏を載せ、後世松江松平藩重臣に此の氏あり。
(太田亮『姓氏家系大辞典 第4巻』磯部甲陽堂(1944年)387頁)