坪山
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概要
関連文献
姓氏家系大辞典
秋元藩の〓家に坪山洞山あり。投馬ツマ魏志東夷傳、不彌國の次に「南·投馬國に至る水行二十日、官を彌々と云ひ、副を彌々那利と云ふ。五萬餘戶なるんしと。此の國の所在につきては諸說あれど、蓋し筑後平原を領せし大國にして、三瀦(ミツマ)、上妻、上妻のツマは此の名殘と考へらる。而して高良山は此の國の中央靈地にして、一方物部氏の〓究より、當國は物部氏の故國に當り、高良玉垂神は、物部氏の氏神たると共に、此の大國の宗社と考へらる。詳細は、拙著日本古代史新〓究。及び高良神社志を見られたし。津麻ツマ和名抄、紀伊國名草郡に津麻〓を收む。式內名神大社の都麻都比賣神社·鎭座し給ふ。キ條を見よ。都麻ツマ和名抄、隱岐國隱地郡に都麻郷を收む。後世、又都萬縣とも、都萬院とも呼ばる。此の地より起りしにて、視聽記に「雲州盟主尼子伊豫守晴久、其の臣某をして兵若干を將ゐ、隱州を討つ。都萬縣主豐前守宗林、其の子彌二郞義秀と皆市に戰ひてこれを錄す。義秀は雲州神門郡主の增也。郡主·兵を遣はして義秀を援く。其の兵·島前に到り、風波の爲に豐田津(島前と島後との渡口也)を渡るを得ず、義秀遂に亡どとo森里城は義秀の居城たり。又掃磨にも此の地名存す。都萬ツマ和名抄、薩摩國慶島郡に都萬郷を收め、又日向國に都麻神社あり。
(太田亮『姓氏家系大辞典 第4巻』磯部甲陽堂(1944年)387頁)