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土岐(3)

提供: 氏族家系データベース

概要

関連文献

姓氏家系大辞典

3氏人東艦卷十三に土岐三郞、二十三に土岐左衞門尉光村、二十五に土岐判官代、卷四十に土岐左衞門を載せ、又承久記卷一に「ときのさゑもんもとゆき」見〓o下りて太平記卷一、無禮講條に「爰に美濃國の住人·土岐伯書十郞頼貞、多治見四郞次郞國長と云ふ者あり。共に〓和源氏の後胤とす。武勇の聞へあり云々」と。分脈には、土岐十郞賴兼に作り、「元亨年中、後配國院に與し奉り、其の最たるの由、露顯す。仍りて六波羅の下知と爲して、山本九郞時網·之を討つ」とあり、天皇·回天の業、最初の忠臣也。又賴員回忠の條に「謀叛人の奥黨·土岐數度高名左近蔵人頼員は、六波羅の奉行齋藤太郞左衞門尉利行が女と嫁す。最愛したりける」云々と。分脈には左近將監賴春(孫十郎に作り「後醍醐院·御隱謀に依リ宜旨を蒙り、與同し奉るの後、妻女に語り武家に告げしむるの仁也。之に依りて、惣べて御陰謀露顯し了んぬ」と見ゆ。次に卷六に土岐伯耆入道、十四に土岐彈正少弱賴遠、會弟道議、十七に土岐伯耆入道存孝、土岐出羽守頼直、その他、刑部大輔頼康等、又二十六に土岐周濟房、同明智三郞、三十に土岐大高伊豫守、卷三十四に「土岐大膳大夫入道善忠、舍弟美濃入道、同出羽入道、同宮內少輔、同小字津美濃守、同高山伊賀守、同小里兵庫助、同發子右京亮、厚東駿河守、同蜂屋近江守、同左馬助義助、同今峰駿河守、同舟木兵庫助、同明智下野入道、同戶山違江守、同修理亮賴行、同出羽守賴世、同刑部少輔賴近、同飛驒伊豆入道」を載せ、卷三十六に「土岐右馬頭氏光、外山、今峯、兄弟三人」とaその他多し。又梅松論に土岐伯耆六郞等、次に明德記に「土岐の大膳大夫康之は御免を蒙りて上洛し、今度の内野の合戰にも忠功を抽んでけるとかや、云々。抑も此の土岐の人々·御退治有ける濫觴も、廉之が舍第伊豫守滿貞·故とぞ聞えし。此の伊與守·舎兄大膳大夫の代官に上りて在京し、美濃尾張兩國の事ども伺ひ申しける時分、內々一家の惣領に心をかけ、とやせし、かうやせましと安じ居たりしが、所詮いとこの宮内少輔を讒しつめば、聟なれば、定廉·之れ是れを扶持すべし。其の時同罪に申し沈めて、家督に立すると思ひ立ちぬるこそ淺猿けれ。先づ宮內少輔·不義の由を連々に讒し申しけるに、宮內少輔も傳へ聞きて、上意として御不審を蒙らば力ら無し、島田が讒に依りて生涯を失はむ事は、無念の至極也。何かして伊奥守と一合戰してと、案じ居たる處に、尾張の國の守護職を申し給ひて、下向したりしかば、彼の國の黑田の宿に於いて巳に合戰に及ぶ。云々」と。この事、南方記傳に「南朝元中五年戊辰(北朝嘉慶二年にあたる)八月、島田伊籐守滿貞·兄の土岐廉行が代官として都にありしが、兄康行をほろぼし、みづから惣領にたゝむ事を望むによりて謀をめぐらし、從弟の宮內少輔詮直は康行が聟たるにより、先づ詮直·通意あるむねを、義滿將軍に訴ふ。事延引せば、康行、詮直一味し、滿貞と必ず合戰あるべし。しからば滿貞おなじ罪たらむ事をうれへ申す。其の〓に詮直·黑田口にて、滿貞と合戰に及ぶ。康行も人數をつかはして滿貞を討たむとす。將軍此のよしを聞き給ひて、土岐左京大夫賴益に命じて康行を征す」と。賴益も康行が從弟なリ。常樂記に「嘉慶二年五月九日、土岐左馬助·尾州黑田合戰場に於いて討死」とあり。次項賴益の下を見よ。新撰志、多藝郡鳥江村條に「曆廳二年二月十八日、尊氏將軍より土岐太郞三郞光賢へ賜ひし證狀に『美濃國多藝庄内□(二字々体不分)吉田地頭職云々』と、土岐系圖に見へし口□の二字は、鳥江の誤字にて、こゝの地頭なり。其の證は尾陽雜記に『土岐伯耆守源頼貞法師存孝の甥·太郞三郞光賢入道元快、美濃國多藝庄内烏江吉田地頭』とあるにて知るべしと。次に安八郡に惡五郞墓あり。當國の土岐氏に、惡五郞と名のる士二人あり。其の一人は、左馬頭賴〓の五男土岐惡五郞康貞なり、是は大膳大夫賴廉の第にて、太 平記の八幡合戰に、和田五郞と合戰し、和田五郞に討取られける由誌せり。叉人は、土岐惡五郞·泳城に住みしを、天正年中、森武藏守長可害しけるよし、金山記に見えたり。今何れの人とも知り難けれど、五輪の樣のいたくふるめかしければ、太平記の惡五郞の墓を、こゝに藥きしあとなるべし(新撰志)と。次に應永記に「土岐宮内少輔入道、土岐美濃守一第九項、及び第四項等を見よ。又御評定着座次第に「文和三年五月廿日、土岐大膳大夫賴康。延文三年、南座、土岐大膳大夫入道善忠。應永八年、土岐美濃入道常保。同十年、侍所土岐美濃入道常保等」見ゆ。次に永享以來御示帳に「一番·土岐掛裴太郞、土岐厚(原)嚴河守、土岐本庄福壽丸。二番·土岐深坂次郞、土岐小柿式部少輔、土岐稻木四郞。三番·土岐外山近江守、土岐肥田瀨宮內少輔、土岐冬利五郞、土岐外山孫四郎、土岐稻保形部大輔、土岐金峯孫三郎四番·土岐肥田瀬伊豆守、土岐石谷孫九郞、土岐肥田中務少輔、土岐長澤治部少輪」。次に「永享より文正に至る御相伴衆·土岐美真守持益」、文明比「國持樣樣·土岐美濃守、外樣衆·土岐民部大輔」等見ゆ。次に文安年中御番帳に「一番·土岐本庄民部少輔、土岐原駿河守、土岐揖斐孫太郞土岐羽崎十郞在國衆·土岐本庄伊豆入道。二番·土岐深坂治部少輔。三番·(土岐)久々利四郞、(土岐)肥田瀬宮内少輔、(土岐)外山孫四郞。四番·土岐肥田瀬伊豆守、土岐各谷孫三郞、土岐肥田瀬次郞、土岐長澤治部少輔。外樣衆·土岐池尻五郞、土岐佐良木三郞、土岐民部大輔、土岐鷲集九郞、土岐明智中務少輔、土岐美濃守。外樣大名衆·土岐左京大夫」等見ゆ。次に康正遺内裏段錢引付に「參十貫文、土岐殿、御要脚之內、」また應仁記に土岐美濃守成賴、また土岐世保云々等見え、同別記に土岐美濃守成賴、同私記に土岐右京大夫成頼あり。次項に詳か也。常德院江州御動座在陣衆着到に「諸大名·土岐次郎政房。一番衆·土岐損斐孫次郞、同孫右丸、(尾州)土岐小里能登守。二番索(濃州)土岐小柿式部少輔、土岐深坂次郞。四番衆·土岐明智兵庫助、同左馬助政宣、土岐飛驒中務少輔直盛、土岐飛驛伊豆守、同太郞尙直、土岐石谷兵部少土岐長沼治部少輔。五番·土岐飛驒八比.土岐今峰兵部少輔、」等を擧ぐ。次に鎌倉大草紙に美濃國土岐大膳大夫、結城戰場物語に「京勢土岐の十郞、」淺井三代記に「土岐よリ上坂に養子、上坂兵庫頭秦信」、大館日記に「土岐石谷孫三郞と、諏方信濃守と、鹽合物を相論す」と。その他、次項を見よ。

(太田亮『姓氏家系大辞典 第4巻』磯部甲陽堂(1944年)387頁)

尊卑分脈(記事名の出現頁・OCR照合)

新撰姓氏録考証(記事名の出現頁・OCR照合)

  • 『新撰姓氏録考証』(栗田寛著、1900、国立国会図書館デジタルコレクション)巻之11-21:57頁

系図・系譜

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