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土山(2)

提供: 氏族家系データベース

概要

関連文献

姓氏家系大辞典

2郡土山庄藤原北家(土山、近江國の名族にして、猪鼻、山中、篠路、甲賀黑川、山安原、黑瀧)より起る。家紋丸に揚羽蝶、浮旋蝶。甲賀廿一家、山北九家の一にして、傳へ云ふ、頓宮氏の族、關白道三八の氏を列す。石見の土屋氏第一項氏の族にして、滲東諸國記に「賢宗、庚寅年、使を遣はして來朝す。書して石見州櫻井津·土屋修理大夫平朝臣賢宗と稱す」とあり。又應永の頃、土屋宗信あり、都治條參照。25備後の土屋氏御調郡に在り、藝藩通志、名家に「土屋氏、栗原村、先祖土屋三郞宗廣は、太夫坊覺明と二人、木曾殿の孤に從ひ、向島に流落し、宗遠は當村に移り居る。其の後裔土屋奥三右衞門、天永年間、杉原氏に屬す。其の子より里正の職をつとめて、今の千右衞門まで十四世なり」と。26大和の土屋氏三輪社の社家にして、總社中配當分に「二石二斗、土屋權左衞門」と見ゆ。27紀伊の土屋氏續風土記、伊都郡橋本町土屋孫兵衞條に「家に綸旨、古文書數通を藏す。土屋兵庫助、及び土屋越後守等の名·文書の内に見えたり。リ、近〓にて尤も著しき舊家なり」皆元祖なと又名草郡府中村の地士に土屋善左衞門あ"又坂井村舊家善次は、其の家傳へて「先祖土屋孫左衛門は、三十六人連署の一人なり」といふ。28肥前の土屋氏大村藩にあり、土屋源左衞門(甲州武田家)の後にして、川崎、本島、吉田等の諸氏となる。29結城家臣秀康卿給帳に「三萬八千石、内一萬八千石與力、御普請與頭、土屋左馬介。三百石土屋市兵衞」等見ゆ。30雜載幕臣土屋氏は多く三石疊、九曜の紋とし、又四石疊、土屋土屋紀伊伊賀守守廉直千石(駿河守の子紀伊守)等を紋とし、又井の字を紋とするあり。又二千七十石(土屋勝右衞門、三石疊)、三千俵(助六郞子土屋河內守、九曜)、三千石(丹後守子丹後守業直、三石疊)、千石(伊奧守子筑後守正備、三石疊)等の大身、武鑑に見ゆ。次に神戶本多藩用人、京極殿給帳に「五百五拾石土屋四郞左衞門、百石土屋次右拾五石土屋石右衞門」每日を載せ、又堀尾山城守給帳にを擧ぐ。「三又越前家々臣に拔刀術の達人土屋市兵衛莊内藩士に土屋久右衞門、同又藏、大島後槍衛に土屋龍右衛門、江戶の儒者に土九曜ツチタニ三輪社の社家にして、「二石二斗、土屋權左衞近江、越中、播磨等に此長の奇、固幅守孝政の次子土山鹿之助より出づと。北土山村に土山盛忠の城址あリ、文明年中、之を築きて六角氏に屬す、子孫相繼ぎ、右近大夫盛網に至りて亡ぶ。寛政系譜は藤原氏支流に收め、「甚五郞昌紀-甚十郞紀時-同紀輔」等を載せたり。

(太田亮『姓氏家系大辞典 第4巻』磯部甲陽堂(1944年)387頁)

尊卑分脈(記事名の出現頁・OCR照合)

  • 『本朝尊卑分脈』(洞院公定撰、写本、国立国会図書館デジタルコレクション)巻[8]:46頁

本朝武家諸姓分脈系図(記事名の出現頁・OCR照合)

  • 『本朝武家諸姓分脈系図』(写本、国立国会図書館デジタルコレクション)巻[130]:23頁
  • 『本朝武家諸姓分脈系図』(写本、国立国会図書館デジタルコレクション)巻[237]:50頁

新撰姓氏録考証(記事名の出現頁・OCR照合)

  • 『新撰姓氏録考証』(栗田寛著、1900、国立国会図書館デジタルコレクション)上(巻1-10):214頁、342頁
  • 『新撰姓氏録考証』(栗田寛著、1900、国立国会図書館デジタルコレクション)下(巻11-21):40頁、228頁、288頁
  • 『新撰姓氏録考証』(栗田寛著、1900、国立国会図書館デジタルコレクション)巻之19:4頁
  • 『新撰姓氏録考証』(栗田寛著、1900、国立国会図書館デジタルコレクション)巻之1-10:51頁、214頁
  • 『新撰姓氏録考証』(栗田寛著、1900、国立国会図書館デジタルコレクション)巻之11-21:227頁

系図・系譜

関連論文

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