土佐(6)
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概要
関連文献
姓氏家系大辞典
6伊勢の片岡氏桑名郡の片岡より起るか。信長記長島合戰條に「片岡に楯籠る一揆等は、柴田瀧川攻め破りて、撫伐りに字堺にありて、こそしてけれ」片岡掃部頭居守すと云ふと。片岡城は上深谷部村(三國地志)。又鈴鹿郡高富堡臣、將監片岡則宗、掃部頭一に掃部亮に作る。(東條城)其の子則高、は織田信孝の其の子彌八郞則正居守、釆地五千貫と云ふ〓〓國地志)。天正八年、る時亡さるとぞ(五鈴遣響、秀吉·神戶城を攻む背書國誌)。又を藝郡長法寺城は片岡六郞左衞門の居城なりしが、永祿十二年信長と戰ひ、鈴1鹿郡國府村に戰死すと云ふ(名勝志)。近江の片岡氏伊香郡片岡〓より起リ一五〇六るものにて、其の連家の氏上たる人を云、ふか。再按するに、當國新治郡、及び鹿島郡に此の邑名あり。蓋し大は多氏の儀か。後世當國に片岡氏あり、第十二項を見よ。
(太田亮『姓氏家系大辞典 第2巻』磯部甲陽堂(1943年)1151頁)