因幡(4)
概要
関連文献
姓氏家系大辞典
4因幡志に固幡國造の系を揭げて、彥多部彥ノ命(一本彥龍彥)人皇九代開化天皇の皇子彦坐ノ王の兒也、成務天皇の御世稻葉の國造と爲す。伊其和斯彥ノ命大己貴ノ命十四代の孫武牟口ノ命の子伊布美ノ宿禰の命の兒なリ。系圖に曰く、伊其和斯彥の宿禰の命は廢香高穴穗の御字、稚足彦の天皇御世に仕奉る。故に天皇の詔リ玉はく、汝祖建半口の宿顧の生血、死血、伐伏定め仕へ奉る稻葉の公民を撫養ひ仕へ奉れと詔りして、楯太刀を賜はりて、彼の國の大政、小政、惣べて持て申上ぐる國造と定め賜ひて退遣はすと詔り玉ひき。其の賜ふ所の太刀等は今に神となして祭る。俗ノ1.1イナハイナ零 人に曰く、伊波比の社是れなり。健火屋ノ宿禰(伊其和斯彥ノ命の子)阿良加ノ宿禰(健火屋の子)汗麻ノ宿禰(阿良加の子)若子ノ臣(汗麻宿禰の子)系圖に云ふ、若子の臣は違飛鳥の宮の御宇、雄朝津間若子之宿扁の天皇の朝廷に仕へ奉りき。時に天皇の〓り玉はく、汝祖の國造を遣す所の狀、彼の本の所由、具に申せと問賜ふ。時に行て詔く、如是事は世々詔く便ち以轉所氣變化輕風の姓を賜ふ。氣吹部の臣の姓は若子宿禰命に始る。若子-馬根-爾波-阿佐-〓〓-久遲良(小智、久運良の臣は小治田宮の御宇豊御氣炊屋姫天皇庚午、臣連伴國造諸氏本記定賜ふ時に、先祖等仕へ奉る狀を具に顯はし白して國造に仕へ奉リ、小智冠を授けらるゝ也。)-都半自臣(大乙上、是の大乙上都牟自臣は難波長柄豊前宮御宇、天萬豊日之天皇二年丙申、立水依評任督收小智冠也、爾時因幡國爲一郡吏、無他郡、三年丁未、小黑冠を授けられ、五年乙西、大乙下を授けられ、後岡本朝廷四年戊午、大乙上を授けらる。)國足ノ臣-(大實頃の人)とoこは伊福部氏の系と國造の系とを混同したるもの、一見怪しけれど猶ほ〓究の要あらん。(イポキベ條參照) 5因幡氏因幡國造の後裔固幅氏、後世の事詳かならず。