因幡國邑
表示
概要
関連文献
姓氏家系大辞典
西北に ホムチへホムチヘホムチヤ-ホムナ五四六八文書)に「少領外從六位上品治部公」等見え、また天平神護二年十月二十一日の越前國司解に「坂井郡高向鄙戶主品治部公千國」、なほ天平五年の越前國郡稲帳に「主政元位品運部廣耳」此れも公姓也なれど、カバネを省略せしなるべし。此の流の出自は詳かならねど、郡領なるより推して、恐らく三國々造の後と考へらる。三國國は後の坂井部附近の地にして、國造本紀に「宗我臣祖彥太忍信命が四世孫若長足尼」の後とし、國造の後は多く郡領に任ぜらるゝを常とす。今古文書によりて調査するに、奈良朝時代に於いで、當郡の大少領たりしは、三國眞人家と品治部公家の二也。前者は三國公の後にて、權體皇子椀子王の後なれば、明かに此の國造の裔にあらず。燃る時は此の國造の裔と思はるゝは、此の品治部公のか。かゝる假定は他の郡領調査よりの類推に過ぎざれど、此處に此の假定をして確實ならしむる一史
(太田亮『姓氏家系大辞典 第5巻』磯部甲陽堂(1944年)4553頁)