四五郞(9)
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概要
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姓氏家系大辞典
9信濃の犬養氏安曇郡の舊社家に犬養氏あり、安曇犬養氏の後裔かと考へらる。猶ほ仁科氏出自の傳說にも犬養氏見え、又此の國犬養氏は小笠原氏の一類とも云ふ、本國犬養については犬甘、大養部條を參照せよ。10備前の犬養氏犬養政友會總裁は岡山縣人にして吉備津神社の犬養の後裔なりと云ふ。神社は古俗を存する事多きを以って、犬養の如きも神社には長く保存せ四十四兵衞督源政知の爲に誅さる)等を擧げ、又兩上杉系圖には、伊豫守憲方(應永二十四年丁酉正月十、雲下に於いて討死)、五郞意春(憲基猶子、同所死)、中務少持憲(京奉公)、快尊(大納言法印、鶴岡別當、同時橫死)、禪欽藏主(同斷)、女子(千葉修理大夫兼胤室)、女子(甲州武田安藝守信滿室、今按ずるに禪秀、實に武田信滿の好也、此說謬甚し)、女子(岩松治部入道天用室)、及び治部大輔〓朝を擧ぐ。鎌倉大草紙に「犬懸右衞門佐入道禪秀、管領を給はる事、」其の「婿千葉介兼胤、岩松治部大輔入道天用」等を載せ、又鎌倉管領九代記に一犬懸禪秀は、すでに持氏御所を落ちて佐介の亭に入給ふと聞て、人數を點檢するに、七千餘騎なり、應永二十三年十月四日の辰の刻に佐介の亭に押寄る云々」と。