四五五九
概要
関連文献
姓氏家系大辞典
ヌカタヘ28ヌカタヘヌカタヘ同意大28大和の額田部連大同類葉方七十六に「大和國城上伊久禰子乃神社に傳ふる所にて、額田部連等の家方也」など見ゆ。29角凝會裔の額田部連前々項氏との關係·未だ詳かならず。後に宿禰姓を賜ふ。30參河の額田部連大同類聚方に八六九差藥。三河國額田郡認播神社の宮造·額田部連長の藥方」と載せたり。されど物部氏の族に額田臣あれば、此の氏は三河國造の一族にして、額田部連と云ふは誤りなるやもはかり難し。謁播神社は三河國造の氏神なれば也。31播磨の額田部連播磨風土記に「額田部連久等々」を載せ、また「揖保郡皷山。昔額田部連伊勢·神人腹太と相鬪ふ」などあり。32筑前の額田部連觀音寺文書に「國政所牒、觀世音寺三綱、早良郡額田郷戶主三家連豐曜云々、史正從八位上額田部連君万呂、正六位上行大典伊部造祐麻呂、天平寳字三年八月五日」など載せたり。33額田部首出雲國なる額田部の伴造家にして、天平六年の計會帳に一秋鹿郡人〓田部首眞昨」なる者見ゆ。34額田部直長門國なる額田部の部分的伴造家にて、豐浦郡領として中古大いに榮ゆ。天平十年の周防國正稅帳に長門國豐浦郡擬大領正八位下額田部直廣麻8.を載せ、また神護景雲元年四月紀に「長門國豐浦團毅外正七位上額田部直塞き、錢百萬、稻一萬東を献じて、外從五位上を授け、豐浦郡大領に任ず」など載せたり。長門國造族なるべし。豐浦、長門等の條參照。35豐後の各田部直當國なる各田部の伴造家なるべし。豐後國戶籍に「各田部直阿流加賣」など見ゆ。36額田部臣出雲臣出雲國造の庶流にて、當國額田部の伴造たりし氏なるべし。出雲風土記に「大原郡少領外從八位上額田部臣、」及び「前少領額田部臣押島、今少領伊去美の從父兄也」など見ゆ。37額田部宿禰第十七額額部部連の宿禰姓を賜へる氏にして、天武紀十三年條に「頼田部連云々、姓を賜ひて宿禰と曰ふ」と見ゆ。なほ天平實字二年七月紀に「正六位上額田部宿禰三富云々、三富·本姓は額田部川田連也」とあるも此の族なるべし。38角凝尊裔の額田部宿禰第廿九項氏の宿禰姓を賜へるものにて、前項氏との關係は詳かならず。姓氏錄、右京神別天神の部に收め「額田部宿禰」明日名門命三世の孫天村雲命の後也」と見えたり。39攝津の額田部宿禰前項氏の族人にて、姓氏錄、攝津神別に「額田部宿禰。同神(角凝魂命)の男五十狹經魂命の後也」と載せたり。40山城の額田部宿禰同上。姓氏錄、山城神別に「額田部宿禰。明日名門命六世の孫天申(申は一本に甲又由に作る)久富命の後也」とあり。
(太田亮『姓氏家系大辞典 第5巻』磯部甲陽堂(1944年)4553頁)