四一八八(1)
概要
関連文献
姓氏家系大辞典
ふ說で、一番廣く行はれて居る。けれど神社の祭神名の上下が略されて、郡名になつたと云ふ如きは牽强附會も甚だその一部がしい。殊に此の神社の所在は諏訪村である事が明白だが、諏訪村は名方〓の地に當つて居らぬ。勿論郡名の方がさきに出來、その郡名より郡の政治中心なる〓に名が移つて、郡名と同一の郷名が生ずる場合も有り得るかも知れぬが、神社祭神名が小地名とならないで、直ちに郡名となつたとは考へられぬから、此の場合には適用出來ぬ。次は平田翁の古史傳に『伊勢の伊那縣より佐那神社の一座を、當國佐郡川內に移して、天石門別神社としたから、佐那縣が佐那方となり、更に佐がとれて名方となつた』と云ふ說だが、これ亦近藤辰郞氏が『佐那川内は、名西郡阿川村勤善寺所藏大般若經奥書に、佐野川內主蓮寺に於いて書寫畢·旨嘉應二年云々とあつて、古くは佐野川內だから、佐那川内の說は採るに足らぬ』と云はれた通りである。次は此の近藤辰郞氏の說で、『此の名方は息長田別命の息と別と、上下を略したものだと云ふ』のだが、その可否は讀者に任せる。私は無論感心せぬ。私の考はかうである。先づ方(カタ)、ニーに夜萬加多、は安藝や、美濃の山縣がヤマカタ、また夜末加太とあつて、和名抄アが省かれ、日向の諸縣がムラガタと、又アが省かれるやうに、上にア列の音が來る時は、アなる母音が二つ重なるので、一つ丈が省かれて、ガタ又はカタとなる。信濃小縣がチヒサガタとなるのもそれで、カタとすんだのには美濃の方縣郡など、まだ多からう。そこで、この名方は名縣である。縣がカタと發音するが故に、方の字を用ひた處は澤山ある、安藝の山縣の如きも、中世山方と書いた。土佐の大方も大縣であらう。かやうに名方は、名縣卽ちナアガタとすると、ナは何か、私はこの地に榮えた安曇族がその本據なる筑前の偉縣なる地名を移したものと思ふ。安曇族が此の地方に榮えて居た事は、上古時代、名方地方に阿曇連が住んで居り、その部曲の阿曇部も居り、又海部も多くその上阿曇氏の祖神豐玉比賣を祭つた宮が二つ迄式帳に見えて居るので、阿曇氏族の有力なる一根據地と見られることは、容易に察し得るのである、アヅミ、アヅミべ、アマベ等の條を見よ。かやうに此の地は安曇氏が、その本據·傳中中園號衣御印3豐前の中園氏當國の名族にして、藤原姓、中園賢久十七世の孫に中間彌三右衞門あり。その子を大根川吉右衞門吉秀と稱す。
(太田亮『姓氏家系大辞典 第4巻』磯部甲陽堂(1944年)387頁)