員辨
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概要
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姓氏家系大辞典
猪名部、爲名部に同じ、和名抄伊勢國に員辨郡あり、爲奈倍と註す。員辨氏は此の地の名族にして猪名部氏の後裔たるなり。東鑑文治三年六月廿九日條に「雜色正光·御使となり、御書を帶び伊勢國に赴く。是れ當國沼田御厨は畠山次郎重忠地頭職を領する所也。而して重忠の眼代內別當眞正、員部大領家綱所從等の宅を追捕せしめ、資財を沒收するの間、家綱神人等を差進め訴へ申さしむ、仍りて其の科を糺行せらるゝの爲也。」と載せ、又同十月十三日條に「大神宮神人等の訴訟に依り、島山次郞重忠の所領伊勢國沼田御厨、吉見次郞賴綱に宛行はる。仍りて重忠に於いては其の身を召禁せらると雖、子細を知らざる〇円、頗る陳謝ある歟の間、厚免已に畢る。當御厨に至りては他人に賜ふの旨、神宮に仰せらるゝの上は、員舞大領家綱の所領資財等、員數に任せ、沙汰して本主に付すべく、向後と雖、彼邊に於いて武士狼藉を停止すべきの趣、山城介久兼に下知せしめ給ふ云々」と。員部は員辨に同じく、大 イナヘ領家綱は古代猪名部造の後裔ならんかと考へらる。又東鑑建仁三年十二月廿五日條に「夜討人·伊勢國守護に亂入す、其の張本·進士行綱なるの由、義盛之を申す」と、次いで翌元久元年二月十日條に「伊勢國員辨郡司進士行綱、囚人と爲して召置かる、義盛の訴によりて也」と、次いで同五月八日條に「伊勢國員辨郡司進士行綱、夜討の疑あるに依り囚人たりと雖、彼の夜討は伊勢平氏若菜五郞等所行の由、從類白狀出來の間、行綱·過なきの旨、其の沙汰あり、今日厚免を蒙リ、剩へ本所を安堵すべきの趣、遠州下知を加へ給ふ云々」と見ゆる進士三郞行綱は家綱の子にして、弟に賴網と云ふ人も見ゆ。