和光(5)
概要
関連文献
姓氏家系大辞典
5和氣朝臣前項和氣宿禰の後にして、實急五年九月紀に一從五位下和氣宿禰清麻呂、廣虫に姓を刺臣と賜ふ」と見ゆ。〓麻呂の事は、延曆十八年二月紀に금正三位行民部卿愛造宮大夫美作備前國造和氣朝臣〓庵呂薨ず。本姓は磐梨別公、右京の人也。後に藤野和氣眞人と改む。清麻呂·人と爲り、高直、匪躬の節あり。姉廣虫と共に、高野(孝謙、稱德)天皇に事へ、並に愛信を蒙りて、右兵衛少尉に任ぜらる。神護の初め、從五位下を授けられ、近衛將監に遷り、特に封五十戶を賜ふ。姉廣虫は筭年に及び、嫁を從五位下葛木宿〓戶主に許す。既にして天皇·落筋し給ふや、隨ひて出家して御弟子と爲る、法名法均、進守大夫尼位を授けられ、委するに腹心を以てし、四位の封、井せて位祿、位田を賜ふ。寳字八年、大保惠美忍勝〓·叛逆して誅に伏し、連り及んで斬に當る者三百七十五人也。法均·切諫し、天皇·之を納れ給ひ、死刑を滅じ、以つて流徒に處す。亂止むの後、民·飢疫を苦しみ、子を草間に非つ。人を遣はして收養し、八十三見を得、同名の養子として、葛木首を賜ふ。此の時、雷道鏡·幸を天皇に得、出入に警譯し、一に乗員に變し、號して法王と日ふ。大宰主神習宜阿蘇麻呂·道鏡に媚事し、八幡神〓と矯はりて言す、道鏡をして帝位に即かしめば、天下太平ならんと0道鏡·之を聞き、情喜び、自厦す。天皇·清麻呂を牀下に召して宣はく、夢に人あり、來りて八幡神使と稱し、云ふ、事(情)を奏する爲に、尼法均を請ふと。朕·答へて日ふ、法均は軟弱にして遮路に堪え難し、其の代に清麻呂を遣はさんと汝·宜しく早く參りて神の〓を聽くべしと。道鏡復た〓麻呂を喚び、慕して大臣の位を以つてす。是より先、路眞人豐永·道鏡の師たり、〓麻呂に語つて云+、道鏡·若-天位に登らば、吾·何の面目を以つて、其の臣たるべき、吾れ二三子と共に今日の伯夷たらん耳と。〓麻呂·深く其の言を然りとし、常に致命の志を懷く。往きて神宮に詣づ。神·託宣して云々。〓麻呂·祈りて申す、今大神の〓ふ所、是れ國家の大事也。託宣·信じ難し、願はくば、神異を示し給へと。神·卽ち忽然·形を現はし給ふ。其の長·三丈許り、色は滿月の如し。清麻呂·魂を消して度を失ひ、仰ぎ見る能はず。是に於いて神·託宣あり、我が國家は君臣の分定まれリ。而して道鏡·悖逆無道にして、轍く神器を望む。是を以つて神靈震怒し、其の新を聽かず。汝歸りて吾が首の如く之を奏せよ。天つ日嗣は必ず皇緒を續ぐ。汝·道鏡の怨を懼るゝ勿れ、吾必ず相濟はんと。〓麻呂·歸り來り、奏して神教の如し。天皇·誅するに忍び給はず、因幡員外介と爲し、尋いで姓名を改めて、別部種麻呂と爲して、大隅圖に流す。尼法均を還俗せしめて、別部狭虫と爲して備後國に流す。道鏡·又追ひて將に清麻呂を道に殺さんとす。雷雨曝暝、未だ刑を行ふに即かずして、俄かに勅使來り、僅かに免るゝを得たり、云々。寶龜元年、聖帝·踐祚し給ひ、勅ありて、京に入らしめ、姓を和氣朝臣と賜ひ、本位名に復す、云々。延曆十七年正月十九日薨ず、云々」と。賜姓、その他の事は藤野、石成の兩條に詳か也。その出自については、日本後紀、前引條に「清麻呂の先は、垂仁天皇々子彈石別命より出づ。三世孫弟彦王·神功皇后に從ひて、新羅を征し、凱旋す。明年、忍 ワケワケ-鐸石別命(母は丹波道主女)-雅鐸石別命(或は云ふ、始めて吉備盤梨別君姓を賜ふ)-田守別王(一に云ふ健眞別王) 1第彦王(一に云ふ健精別王)-麻己目王こに云ふ依圖別王)-意富己目王(一本に『異說に云ふ、始めて吉備繁梨君姓を賜ふ』と)-伊比運別王-伊大比別王-萬子(或は萬侶と曰ふ)-古麻佐(體波朝庭、藤原長會を立つ)-佐波良(美作備前兩國々(同)-平麻呂造)-佐波豆(同)-宿奈(ロー)一本に乎麻呂)-清麻呂(從三、大納言、母、贈正三位)、妹廣蟲(正四下、葛木戶主室)」と見ゆ。
(太田亮『姓氏家系大辞典 第6巻』磯部甲陽堂(1944年)5678頁)