同勘太
概要
関連文献
姓氏家系大辞典
云五 マツタヒマツタヒマツタヒ天四四郞(隼人正等、千二百石)、母は〓凉院、大坂夏陣の刻軍忠あり、頭數三千六百五十級を指擧ぐ。元和九豐後國に左遷、落髪して二柏齋と號し、慶安寅九月日卒、五十六、號四厳院、相譽運友大居士)-光長(家光將軍より御諱の下字を賜ふ、從三、右近衞權中將。童名仙千代、越後守。母は太政大臣源秀忠公女、大崇院)-綱賢(從四下、右近衞權少將。童名德千代、下野守。母松平長門守大江秀就女、龍昌院、延寳二甲寅正月晦日卒、四十二歲、源剛院天奥道本勇徹大居士)」と。又藩輪譜卷一に「越前三河守殿は、德川殿第二の御子、御母は家の女房(天正二年二月八日、秀康生る。御母は阿万の方永見志摩吉英の娘、永見氏は池鯉鮒明神の祠官なり)、いさゝかゆゑ有つて、三河国産見といふ所にて生れ給ひ、德川殿·御子ともし玉はず。本多作左〓門重次とりて養ひ參らせ、御名をば於義丸殿と申し奉る。御兄岡崎の三郞(信康)殿·如何にもして、父上の見參に入ればやと思召し、於義丸殿三歲の御時、德川殿岡崎の城に入らせ玉ふこと有りしに、かねて能く教へ參らせ、殿の渡らせ給ふほとりの松平美作守松平主計頭松平大隅守(出雲守等、五百石)、松平因幡守(豐前守等、六千石)、松平出雲守松平豐前守松平内記(勘介等、五千石)、松平仁右衞門(千五百石)、同伊勢守(玄蕃頭、五百俵)、同源右衞門(勇助等、三百俵)、松平勘介同兵庫頭信行(鍋五郞等、千石)。39結城(越前)家家康の男秀康の後也。御當家御系圖に「秀康(領越前國六十七萬石、七十二萬石、福井在城。家紋桐、菊.藝初は關白秀吉公·論ひて秀康を以つて子と爲し、羽柴氏を授け、秀字を遣はす。其の後、結城晴朝の遺跡を繼ぐ、仍りて結城と稱し、大坂を赴く、石川伯書守源數政·之に從ふ。從三位、中納言。初め少將、天正二甲戌生、三河守、慶長十二丁未聞四月八日逝去、三十四、號淨光院。殉死長見右衞門、土屋左馬助、長沼長右衞門) -忠直(領越前國六十七萬石福井在城、參議、正三位、初め少将。松平玄蕃頭松平孫大夫(大助、勘満等、三千石)、下野守(長門守忠寧等、四千五百石)、作五郞(五百石)、同同松平孫大夫勘滿松平長門守忠寧松平美作守(督三郞等、五千石)、明障子、引きうごかし、父上〓〓と聞え給ひしに、德川殿はやく心ゑさせ給ひ、御座を立たせ給ふ所を、三郞殿·御袖を扣へたまひ、信康が第の候を、今日見參に入ればやと宣ふ。深く恨みいきどほり給ふ如氣色に見えければ、此上は見參無くては事あしかりぬと思召され、德川殿·三郞殿·頓がて再び御座につかせ玉ふ。於義丸殿の御手を引て參り玉ひ、近う渡り給へとありし程に、加藤の上にかきすゑ玉ひしかば、三郞殿·獣ばせ給ふこと斜ならず、かくても猶ほ重次が許にぞ、ひとゝならせ玉ひける。三郞殿うせ給ひ德川殿此人のましますを、賴もて後は、しき事に思召す。天正十二年冬、豐臣秀吉·北畠殿につきて御子一人を養君とし奉るべきよしを申さる。德川殿·異父同母の御弟、三郞四郞(久松條)殿をのぼせ給ふべしとありしに、御母上ゆるさせ給はねば、力なく、於義丸殿·のぼらせ玉ふべきに定り、この年十二月の末、大坂に趣かせ玉ふ。秀吉·深く悅び、やがて元服の儀行はれ、羽柴秀廉と名のらせ、河内國にて所領參らせ、(一萬石)、明十三年七月十一日みづから開自し粉ふとき、秀康朝臣·御年十二歳なるを、四位の少將兼三河守になさる。同十八年の春、下總國の大名結城右衞門督晴朝·家人多賀谷安藝を使として、春朝年既に五十に餘りて、いまだ家つがすべき男子なく、たゞ一人の娘あり(實は、晴朝の孫女、一族水戶但馬守が娘、是れ卽ち忠直〓等の御母なり)、あはれ殿下の御一族を賜ひて、聟君とし、我が家を讓らばやと望む。關白殿·悅ばせ玉ひて、於義丸を下すべしと仰あり。八月六日、晴朝·守殿に家ゆづらる、是より結城殿ど申し、十萬千石の地を領せらる、其の後參議に任ず。関ケ原戰、下野國字都宮に陣取つて、最勝に備へ、戰後、越前國を賜ひ、明慶長六年五月、福井の城に移り給ひぬ(六十七萬石を領し、北庄を改めて福井と名づけ、域築かれしなり)。其の後、從三位中納言に至り、同十二年閏四月八日、御年三十四歲にて世をはやくし玉ひぬ」と。40越前家系圖秀康忠直-光長-綱賢財金陽卉ニ:右中野右少門下野守六十七萬七十五直十五萬石益智二石:マツタヒ三長良水見大藏女子高松野仁親王御臺所女子九條調白通房女子小栗吳作喜-忠昌-光通こ學-直堅-直知信中守内務正伊奧す左少將の魚川初期限五十二高一萬石按照前五千二百-日勝越前松岡五萬石-桐昌-長〓女子中務大種昌親(吉品)电子子大蔵H民武大輔: -宗昌中科大福井五十二高五千二百八十石吉邦(昌邦)程二十五高石伊弉店直政-綱隆-綱近國明出劇然通守甲斐守左少義学出刺ず出雲十八作從高六千石吉秀-宣維出羽守出刺守俳優少將おまえん某近榮-近時上野介式起少輔三鳥わ隆政右直大夫五〇大成守直道-直丘=直員-直行主志摩守: ay近朝近輝章人正式部精算0近峰(近員)近明おはる後時守Kid見創守-直寛-直諒宮内大
(太田亮『姓氏家系大辞典 第5巻』磯部甲陽堂(1944年)4553頁)